B3-8 小刑部姫

作品名:「東錦昼夜競」「小刑部姫」
出版:明治19年(1886)
絵師:周延
判型:大判錦絵
所蔵:立命館ARC(arcUP4968)

 伝承にまつわる妖怪の一人として、次は『小刑部姫』を紹介する。『小刑部姫』は、姫路城の天守閣に棲む妖怪で、長壁姫、刑部姫、小坂部姫ともいう。本図は、明治時代の浮世絵師、揚州周延の作品「東錦昼夜競」で、神話の時代から江戸時代にかけて、様々な歴史故事、妖怪譚などを題材としたシリーズである。上下に昼と夜とを分け、関連エピソードを描いている連作である。本図の上に描かれているのは昼で、巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いを描いている。下に描かれているのは夜で、姫路城に奉公していた宮本武蔵が、天守に住む妖怪を追い払ったため、小刑部姫が妖怪退治の礼として、銘刀・郷義弘を授けたところを描いている。画中の文字は以下の通りである。

播州姫路城天守の変化を見届ん為め城主木下勝俊公の命を受け宮本武蔵只一人丸灯携へ天守台へ至り一重より二重へ登らんとす ときに盤石を投落す音なりわたる 其凄きこといわんかたなく武蔵屈せす畳々に至りければ正面に小刑部明神の神前あり 礼拝なし見とゞけし印に幣一ツを持立去んとせしが後にこへあり 柳の五ツ衣に緋の袴を着したる宦女 我は小刑部姫の霊なり 祟りといふは悪狐の術 必ず神のなすことならず 汝茲に来るこそ幸ひ 此ことを告るなりとて短刀を武蔵に与ふ これ悪狐武蔵退んと宝物を与へ無実の罪を覆せたり

小刑部姫の伝承は様々あるが、姫路城の天守閣に棲むという点は共通している。しかし、容姿に至っては「十二単の美女」や「白髪で恐ろしい顔の美女」とされるものもあり、性格についても伝承によって変わっている。その正体も、「天守閣が築かれた姫山の神」であったり、「元は、於佐賀部狐という老いた狐で、八百匹の家来を従え、人の心を読み化かしていた」などがある。松浦静山の随筆『甲子夜話』によると、小刑部姫が隠れ住んでいるのは、人間を嫌っている為であるとされる。年に一度だけ、城の運命を告げる為に城主の前に姿を現すという。危険な妖怪ではないように思われるが、城主が小刑部姫の機嫌を損なうような行為ばかりを行ってしまうと、呪い殺されてしまうという。江戸時代の怪談集『諸国百物語』における伝承では、病に伏した池田輝政を治すべく、祈祷をしていた比叡山の阿闍梨に、小刑部姫は城を出ていくように命じる。しかし、阿闍梨はそれに従わなかったため、小刑部姫は身の丈2丈もの鬼神に変化して阿闍梨を嬲り殺して消えたという。

小刑部姫における伝承は、『鈴鹿御前』と同様に、他の妖怪と比べてもかなり多様な姿で描かれている。多様な姿で描かれるということは、この妖怪たちは様々な想像を生むに足るほどのキャラクター性を持っていたものであるからだろう。(小山)


参考文献
『姫路城に隠れ住む妖怪・長壁姫の正体』「最恐妖怪絵巻」
兵庫県立歴史博物館「歴史博物館ネットミュージアム」「ひょうご歴史ステーション」

arrow_upward