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書名:『本朝二十不孝』 巻三
作者:井原西鶴
絵師:千草五兵衛
書型:5巻5冊
出版:貞享3年(1686)
所蔵:東京大学附属図書館(katei0148)右は、井原西鶴による浮世草子『本朝二十不孝』三巻に収められている「先斗に置て来た男」という小話の挿絵である。ちなみに先斗はポルトガル語が語源で、ここでは並べられた端にあるカルタ、の意味である。
偶然か、先に紹介した『鹿の巻筆』と同じ出版年であり、同様にカルタ賭博が行われている場面である。それだけこの時代にカルタが流行し、人を堕落させる賭博といえばカルタであると認識されていたということだろう。
『本朝二十不孝』は、中国の『二十四孝』を意識した作りながら、対照的に日本の親不孝者の話を中心に集めて描いた教訓めいた内容となっている。「先斗に置て来た男」の話は以下のとおりである。
かつて唐へ投銀して成功した屋敷持ちの八五郎という男がいたが、これがとんだ親不孝の悪人であった。ある日数人で集まり賀留多(カルタ)を行うが先斗(ポント)に、小判二十両を無造作に置く賭けっぷり。ここで一度大金を得る大成功を経験し狂喜、熱中するが、女遊びも酒も止めず、以降妻子は捨て親にも疎まれ、そのうち家財道具に茶器、屋敷まで売り払っても立ち行かぬほど借金を繰り返す。そしてついに親は自殺する。
カルタ賭博においては、このように身を持ち崩す人々の増加を防ぐために、幕府が何度も禁令を出している。しかし民衆はしたたかで、読みカルタ、めくりカルタという遊戯法が禁止されると、今度は百人一首に偽装した「むべ山」を作り出し、「きんご」「かぶ」...といった具合で派生させ規制を逃れてきた。ついに迎えた「寛政の改革」による風俗取り締まりにさえ、花札を製作することで永らえさせた。
人が賭博の誘惑から逃れられた時代は存在しないのかもしれない。(内田)参考文献
増川宏一『賭博の日本史』、平凡社、1989年
『ポント【先斗】』、日本国語大辞典、JapanKnowledge, https://japanknowledge.com (参照 2021-01-14)
有働祐『本朝二十不孝』研究史ノート(三)(参照 2021-01-07)
A3-1-2 『本朝二十不孝』- かるた賭博