A1-1-1 竹沢藤次と倅万次
-
-
作品名:「江戸の花」 「一流曲独楽」「竹沢藤次」「忰竹沢万次」
出版:弘化4年(1844)
絵師:歌川国芳
判型:大判錦絵
所蔵:MFA-Boston(MFA-11.36741)初代竹沢藤次(たけざわ とうじ)は、1840年代から江戸で活躍した曲独楽廻しである。息子の万次(まんじ)と共に西両国広小路で評判になり、大阪や江戸を興行して大流行した。比較的渋い芸とされてきた曲独楽を、大仕掛けで派手な見世物にまで押し上げた第一人者である。
曲独楽とは、形や色、大きさが様々な美しい独楽を用いて、曲芸を披露する者、またその芸のことを指す。演じている者を独楽師とも言う。独楽を扇子に載せたり、綱渡りをさせたりと華麗な技がさまざまにある。元禄頃に博多で生まれた後、博多から上京した初太郎という少年が四条河原の芝居小屋で演じて評判になったことから江戸に伝わり、享保年間から幕末にかけて大流行した。
絵は羽子板曲独楽をしている竹沢藤次と、上下に独楽を模した提灯を持つ息子の万次が、目を見合わせて言葉をかわして興行の準備をしている場面である。息子の万次と二人で描かれている作品は少なく、貴重な作品といえよう。万次は嘉永2年(1849)3月6日に初代竹沢藤次から名を譲られ、二代目竹沢藤次を襲名する。初代竹沢藤次は名を改め梅升(ばいしょう)と名乗った。(甲斐)参考文献
「日本文化いろは事典 曲独楽」(参照2021-02-09)
川添裕『大江戸カルチャーブックス:江戸の大衆芸能 歌舞伎・見世物・落語』、青幻舎、2008年.
宮尾與男『図説:江戸大道芸事典』、柏書房、2008年