C1ー1 日本のピカソ~画狂人と名乗る男~

作品名:「神奈川沖浪裏」
出版:天保2年(1831)
絵師:葛飾北斎
判型:大判錦絵
所蔵:MFA_Bosuton(MFA-06.1153)

 日本のピカソと言えば誰を思い浮かべるだろうか。私は葛飾北斎がその人だと考える。ピカソは生涯におよそ15万点の作品を生みだしたと言われておりギネスブックにも名を連ねている。彼ほどではないが、北斎も約3万点の作品を残したと言われている。ピカソはその15万点の中でも奇妙で変わった作品のイメージを持つ人もいるかも知れないが、彼は写実的な絵なども多く描いており、その画風は実に多様である。北斎もまた実に多様な画風を身につけた男なのである。
 葛飾北斎は江戸後期の浮世絵師であり、ダイナミックでユーモラスな構図、写実的な描画を持つ人で、その絵はかのゴッホにも影響を与えた。北斎は引っ越しを93回とし、号(ペンネームのようなもの)を30回変え、その中の一つが「北斎」であり「画狂人」である。幕府の規制により使える色数が少なくなると、青=藍が高いので一般的に"ベロ藍"と呼ばれる輸入の安い青を使う事になるが、その中でもバリエーションを出し観る人を驚かせた。彼の作風は彼の人生そのものであろう。北斎はいろいろな絵を見てきた。最初は勝川派で写実的な役者似顔絵や美人画を、そして狩野派、住吉派の生々しい画風を、琳派を学び、当時彼が使っていた号から宗理様式となり、葛飾派が誕生した。また驚くべきなのはその観察眼である。富嶽三十六景で有名な「神奈川沖波裏」では波の先端が鉤型になっているのが特徴的だが、実際に現在のカメラで何万分の1のシャッタースピードで撮ると鉤型になっているのである。さらに彼は取得したあらゆる技法を用いて、遠近表現を昇格させたり、人々をその巧さに気づかせないまま、的確に何処を観てほしいかメッセージをこめている。まさに「画狂人」である。(一色)

参考文献
仲谷兼人『浮世絵版画の空間表現:浮絵と遠近法を中心として』 大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要5巻p.57 - 69」 2006年(参照2021-01-13)
永田生慈『葛飾北斎の本懐』、KADOKAWA、2017年

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