昭和11年の祇園ねりもの
昭和10年に43年間も中断していた練物が復活することになったが、六月末に大変な水害に見舞われたため、やむなく中止となってしまった。この時は、番付までできていただけに残念なことであった。翌11年にも練物復活の話しが持上がったが、甲部は、弥栄会館の建築もあって、乙部のみが出すことになった。田中緑紅の「祇園ねりもの」には、このあたりの事情が委しいが、この11年の練物の前の6月に脱稿し、7月に出版されたものであるので、11年の練物が実行されたのかどうかの記述はない。
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