« 練物姿を描いた合羽摺 | TOP | 『園のはな』(天保11年正月刊 ) »

2006年06月27日

●「祇園御輿洗 練物姿 今鶴」

祇園御輿洗練物姿 今鶴
 掲出するのは、「はる川画」の落款がある細判合羽摺である。
退色しやすい絵の具の紫がまだ鮮やかに残っており、状態もよい。
・はる川は、「春川五七」と目される絵師で、最初江戸に住んでいたが、文化後半から京都に移り、祇園に居住して、天保2年(1831)に没したと伝えられている人物である。絵画的素養は、むしろ江戸で身につけたものと思われ、そのためか、顔の描写方法もそれまでの上方の絵師とはひと味ちがっている。
・板元は、山城屋佐兵衛と本屋吉兵衛の合板(共同出版)である。いずれも京都の板元であるが、山城屋は、「祇園蛸薬師東洞院東入」という住所までが判明している。
描かれている芸妓は、京井筒屋の今鶴という芸妓で、「宮木阿曽次郎」に扮している。いわばブロマイドとして練物に出る芸妓の姿絵を売り出したのである。
 本作品の制作年月は、文化11年5月である。

 何故、ここまで特定できるのかというと、祇園練物には番付が出ており、前出、中出氏の著書と、田中緑紅氏著『祇園ねりもの』の掲出資料とによりそれらを知ることができる。最古の番付は、絵本としては宝暦12年、一枚摺のものでは文化10年のものが確認できている。この間にはその詳細を知る資料はなく、文化10年11年、文政3年・・・という具合で、全部の年度の内容を知るには至っていない。が、運良く、文化11年の資料と一致し、本図の練物が出た年が判明するのである。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/mt/mt-tb.cgi/251

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)