神泉苑請雨経法指図 しんせんえんしょううきょうほうさしず
一幅、室町時代
禁苑として出発した神泉苑が、祈雨修法の場として確立するのは九世紀半ば以降である。さらに10世紀初期から真言僧による祈雨法会が相次ぎ、それが天長元年(824)に空海が神泉苑祈雨を行ったとの伝説を生むに至った。中世には真言宗が祈雨修法を独占する。本図は文永10年(1273)、神泉苑で行われた祈雨修法の際の仮屋指図を、醍醐寺理性院仙覚が筆写し、それを明徳4年(1393)、東寺観智院の賢宝が写したものである。下を北にして描く。東寺観智院伝来。