豊竹座

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とよたけざ


総合


歌舞伎

初世竹本義太夫の弟子の竹本采女が豊竹若太夫と名乗って、元禄十六年(1703)大阪道頓堀の東に開場した人形浄瑠璃劇場。 最初の出し物は「心中涙の玉の井」であった。やがて人形遣いの名人辰松八郎兵衛竹本座から迎え、享保十一年(1726)四月に上演された「北条時頼記」はかってない大当りをとった。折から操芝居の全盛時代で、豊竹座は西の竹本座に対して束の芝居といわれた。しかしそののち二度も全焼し、若太夫も歿して明和二年八月閉場された。