張飛

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ちょうひ


画題

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解説

画題辞典

支那三国蜀漢の勇将なり、少にして関羽と共に劉備に仕へ、之と兄弟を約す、備江南を定むるに及び、飛宣都の大守となり、後又巴西大守となる、備の呉と戦ふや、飛時に車騎将軍たり、兵一万を率ゐ江州に会せんとす、将に途に上らんとする時、部下の将張達范彊等の為めに殺さる、飛蓋し勇悍壮烈に過ぎて人を恤ます、日に健児を鞭撻して酷に過ぐるものあり、為めに部下の怨む所となりたるなり、

京極子爵家に狩野美信の画く所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那三国時代に於ける蜀の勇将、字は益徳、涿郡の人、少壮の時から関羽と共に劉備に仕へた、関羽が数歳長じてゐたので常に兄事してゐた、劉備の呂布を破つて許に還るや、曹操張飛を拝して中郎将となした、曹操が劉備を追うて一日一夜で当陽の長坂に及ぶや、張飛二十騎を率ゐて殿戦し、水に拠り、橋を断じ、目を瞋らし矛を横へて曰く、身はこれ張益徳なり、来つて共に死を決せよと、敵敢へて近づくものなく、之によつて劉備は危地を脱するを得た、劉備の江南を定むるや張飛を以て宣都大守征虜将軍とし新亭侯に封ず、後、転じて南都に在り、劉備の益州に入て劉璋を攻むるや、張飛は孔明と流を遡つて江州に至り劉璋の将厳顔を破り之を擄にした、張飛、厳顔に降伏を勧めたが、厳顔、断頭将軍あるも降将軍なしと断乎として降らず、張飛之を壮として釈す、かくて張飛到る処敵を破つて劉備に成都に会した、益州既に平ぎ、張飛、巴西太守を領す、曹操の将、張郃、巴西に下る、張飛之と戦つて破る、劉備漢中王となるや張飛を右将軍とし、章武元年車騎将軍に遷り司隷校尉を領し、西郷侯に封ぜらる、後、その幕下の将、張達、範彊の為めに殺さる、追諡して桓侯といふ。

桃園三傑の一として画かれ、時に長坂で敵を睥睨するところ、武者絵としてよく画かる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)