小楠公

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しょうなんこう


画題

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解説

画題辞典

小楠公は楠正行なり、正成の長子なり、正成の湊川に戦死せる時、年猶幼なり父の戦死を聞き一室にて自殺せんとし、母の訓戒を蒙りて大に発奮し、是より深く父の遺訓を体し、南朝に尽くし且つ仇を報ぜんと心に期し、日常の遊戯も此に関することを以てす、長じて検非違使左衛門尉となり河内守を兼ね、已にして後村上天皇の正平二年敵将高師直等の大軍を以て来り犯すや、正行必死を期し、一族百餘人を率ゐて行宮に到り、龍顔を拝して暇を請ひ、更に後醍醐天皇の廟に謁し、同盟の姓氏を如意輪堂の壁に記るし、更に左の一首を題せり。「梓弓引かへさじと思ふなりなき数に入る名をぞ留むる」明年高師直等の大軍と四条畷に戦ひ、激戦数十合、従卒死亡略ほ尽き、身亦数箭を蒙り、弟正時と交刺して死す、時に年二十三、櫻井駅の訣別、母の訓戒、如意輪堂、四条畷皆歴史画の好画題なり、田中訥言、菊池容斎を始め、現代にては松本楓湖、小堀鞆音等に此を画くもの少しとせず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

くすのきまさつら「楠木正行」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)