春澄善縄
はるずみの よしただ
画題
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解説
前賢故実
幼少時より聡明で、弱冠の歳で大学に入った。書物を手から放さず、学識が広く、文才に富み、人並み以上に機敏で、当時善縄に及ぶ者がいなかった。承和十年、文章博士となり、学堂で後漢書を教授した際、解釈が流暢で、滞ったところがなく、難解なところをすべて分かりやすく学生に説明した。帝は弟子として礼を以て、善縄による『荘子』の講義を受け、善縄に御衣を賜った。善縄はかつて詔を奉じて続日本後紀を編纂して、貞観十一年に完成した続日本後紀を献上した。同十二年、病に倒れた際、詔によって從三位を授けられ、まもなく京都の東にある自宅で薨去、享年七十四歳。善縄は、素朴で丁寧な性格を持ち、自分の長所を以て人を侮ることがなかった。また、垣のある家屋を造らず、客人を家に招くこともなく、家では子や姪しか会っていなかった。
子晋駕鶴(周の霊王の太子であった子晋は、鶴に乗って登仙し) 独禀軽挙之霊(独りで飛揚していく霊妙さを体験した) 曼都対人(人の前では穏やかでやさしい態度を取り) 空造誕漫之語(虚妄の話を創り出した)
(『前賢故実』)