河原勧進猿楽

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ただすがわらかんじんさるがく。

寛正五年(1464)四月五日・七日・十日の三日間、鞍馬寺勧進を名目に、当時の将軍であった足利義政が、観世大夫観世正盛に興行させた勧進猿楽を指して言う。正盛の父である音阿弥も出演した。

この勧進猿楽については、『糺河原勧進猿楽日記』などの詳細な記録が多く残されており、それらの記録は、当時の勧進猿楽の実態が具体的に知られる点で貴重である。たとえば、橋掛が舞台の後方に付く形であったこと、多くの能・ 狂言きょうげんの曲名がすでに成立していたこと、狂言が交互に上演される上演形態が成立していたことなどが挙げられる。