坂上田村麿
さかのうえたむらまろ
画題
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解説
東洋画題綜覧
征夷将軍、左京大夫苅田麿の子、身長五尺八寸、胸の厚さ一尺二寸、怒る時は鬼も怖れ笑ふ時は童子も懐くといふ、延暦年中従五位下に叙せられ近衛将監内匠助となり近衛少将兼越後守に進む、桓武天皇蝦夷を征せんとし給ひ、田村麿は百済俊哲と共に東海道に赴き士馬を閲し戎器を検し次で征夷副使となつて功を樹て、従四位下に進む、尋で征夷大将軍を拝し勅を奉じて諸国の奉俘を検す、二十年蝦夷再び反するや、朝廷節刀を授けて之を討たしむ、田村麿勇戦して之を平げ凱旋するや、従三位となり近衛中将となる、かくの如くして威望日に昂り、為めに蝦夷を征すること数次、弘仁二年粟田の別業に逝く、年五十四、京都清水寺は田村麿の出猟に際して僧延鎮に逢ひ、創建せしめた寺である。
なほ田村麿を描いたもの左の諸作がある。
小堀鞆音筆 『田村麿』 西野嘉九衛門氏蔵
谷口香嶠筆 『坂上田村麿』 歴史風俗画譜所載
小堀安雄筆 『坂上田村麿将軍』 紀元二六○○年奉祝展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)