東叡山
とうえいざん
画題
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解説
画題辞典
東叡山は東都上野の地なり、東叡山円頓院寛永寺は、此地に在りて江戸時代東国随一と称へられたる大刹なり、元和八年地を選び、寛永四年工竣り、天海僧正を開山とし比叡山に対し東叡山と称す、元禄十五年守澄法親主を天海の法嗣として請ひたるより、世々法親王院主となり、寺領一万千七百石を有し、根本中堂を初め、文殊楼、雲水塔、輪転蔵、吉祥閣等、漸次堂塔の増築成り、輪奐の美を極む、寺中三十六坊あり、宛然東海第一刹の実を備へたりしが、明治戊辰役兵災に罹り烏有に帰す、境内櫻樹多く亦櫻花の名所たり、上野の条併せて参照ずべし。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
東叡山は東京上野公園のこと、もと此の山一帯を忍岡また東叡山と呼び、又、寛永寺の山号をも東叡山と呼んだ。
昌平志云、忍岡今称東叡山、寛永甲子創建寺閣、曰寛永寺、擬之平安比叡山、称東叡山、或謂是大永中遠山氏故墟、故亦曰城山、恐誤也、据長禄中地図、元曰代山、城代二字此訓失路、故転為城山、是以遠山氏世住江戸、遂附会、為其墟耳、或謂古昔赴奥州駅道所往、亦未明証。
武江年表云、正保の江戸図とて写し伝ふる者に東叡山は東向に門ありて門前並に寺後に僧正町といへるがあり。 (大日本地名辞書)
東叡山と題した作
一立斎広重筆 『上野東叡山図』 東都名所之内
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)