忠貞王

提供: ArtWiki
2021年12月7日 (火) 19:53時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

たださだおう


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

sakBK01-0080-08_14.jpg

貞観中、大学頭を務めていた。元慶三年、参議を拝し、大和国の班田を審査していた。忠貞は容貌が醜かったが、高遠な志を抱いていた。幼い頃より大学で学び、五経について大概通じていた。数年の間に、諸国の国守を歴任、威力と徳化による統治を行い、人民が順服するようになり、役所を欺けなくなった。風紀の好転によって、国が繁栄するようになった。地方を治める忠貞の才能は、橘良基と同様に讃えられて、その美名が世間に知れ渡った。忠貞は、まさしく皇族の模範であった。

(『前賢故実』)