蜆子和尚
けんすおしょう
画題
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解説
画題辞典
支那の僧、何許の人なるを知らず。冬夏共に一衲、逐日江岸に沿ひ蝦蜆を採掇して其腹を充たす、暮るれば即ち東山自馬廟紙銭中に眠る、世に蜆子和尚という。洞山禅師に印心す、終る所を知らず、法衣して手に蝦を揚ぐるの態、或は水中魚を漁るの図共に古来画家の図する所なり、又時に猪頭と対幅として画かるゝ事も多し。
梁楷筆(浅野侯爵所蔵)、牧渓筆(益田男爵所蔵)、可翁筆(某家所蔵)、長谷川等伯筆蜆子猪頭襖貼付四面(京都真珠庵所蔵国宝)、土佐光起筆(土屋子爵所蔵)、明僧心越筆(水戸祇園寺所蔵)、其他俵屋宗達、渡辺崋山、近くは橋本雅邦、下村観山等の図あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
蜆子和尚は支那の高僧、その何処の生なるやを詳にしない、夏冬ともに一衲、常に江岸に蝦や蜆を採つて腹を満たせ、暮れば即ち東山白馬廟紙銭の中に眠る、世呼んで蜆子和尚といひ、洞山禅師の法嗣である、
京兆府蜆子和尚不知何許人也、事跡頗異、居無定所、自却心於洞山混俗閩川、不畜道具、不循律義、冬夏唯被一衲、逐日洽江岸、揉掇鰕蜆、以充其腹、暮即宿東山白馬廟紙銭中、居民目為蜆子和尚、華厳静禅師聞之欲決真仮、先潜入紙銭中、深夜師帰厳把住曰、如何是祖師西来意、師遽答曰、神前酒台盤厳放手曰、不虚与我同振生、厳後赴荘宗詔、入長安、師亦先至毎日歌唱自拍、或乃佯狂泥雪去来倶無縦跡、厥後不知所終。 (五灯会元十三)
蜆子和尚の蝦や蜆を掬ふ姿は面白いので、古来画かるゝ処極めて多い、重な作を挙げる。
揚月筆 『蜆子猪頭』 東京帝室博物館蔵
沢庵筆 井上侯爵家旧蔵
梁楷筆 浅野侯爵家蔵
牧𧮾筆 益田男爵家蔵
沢庵筆 『達磨猪頭三幅対』 浅田家旧蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)