「藤原基任」の版間の差分

提供:ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
 
(相違点なし)

2025年5月7日 (水) 09:00時点における最新版

総合

阿野廉子が吉野の宮から忍んで京都の行き、また吉野に戻るとき、基任は右衛門太夫としてお供していた。

高師直はかねてからこの君(廉子)の容貌が美しいことから懸想していたため、これ幸いに奪おうと人を連れ狼藉に及ぼうとしたが、基任がどうにか防ぎ、廉子はなんとか戻ることができた。

しかし、基任はこの時討ち死にしてしまった。


<参考文献>

『吉野拾遺詳解』中邨秋香 博文館 1899