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ていしんこう ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=貞信公&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=貞信公 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=貞信公 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=貞信公 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:貞信公 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=貞信公 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=貞信公 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=貞信公 CiNii図書検索] ===解説=== (分類:武者) ===画題辞典=== 貞信公は太政大臣藤原忠平がことにして、摂政基経が四男なり、延長八年九月摂政に任じ、天慶四年十一月関白に上る、公卿四十二年、大臣三十六年、執政廿年に及ぶ、世に又小一条の太政大臣ともいう、その陣座に於ける怪事は人口にも膾炙し、貞信公の題下に屡々画かるゝ所となす、大鏡より出でしことにて、原文左の如し。この殿、何れの御時とはおぼえ侍らず、思ふに、延喜朱雀院の御ほどにこそ侍りけめ、宣旨うけ給はらせ玉ひておこなひに、陣の座ざまにおはします道に、南殿の御帳のうしろの程、とほらせ給ふほどに、物のけはひして、御太刀のいしづきを捉へたりければ、いと怪しくてさぐらせ給ふに、毛はむくむくと生ひたる手の、爪は長く刀の刃の様なるに、鬼なりけりといと物恐しく思召しけれど、臆したるさま見えじと念ぜさせ給ひて、公の勅定給はりて、さだめに参る人捉ふるは何者ぞ、ゆるさずはあしかりなむとて、御太刀をひき抜きて、彼れが手をとらへさせ給へりければ、まどひて、うちはなちてこそ、うしとらのすみざまへまかりにけれ、思ふに夜のことなりけむかし。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|て]] ===東洋画題綜覧=== 貞信公は太政大臣[[藤原忠平]]のこと、基経の四男、延長八年庚寅九月廿一日摂政、天慶四年辛丑十一月八日関白の宣旨あり『公卿にて四十二年、大臣の位にて三十二年、世をしらせたまふ事廿年、後の御いみな貞信公となづけたてまつる』と大鏡には記してゐる、その南殿に於て鬼にあふて沈勇を示すこと、同じく大鏡にあつて名高い。 南殿の御帳の後の程とほらせたまふに、もののけはひして、御太刀のいしづきをとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせ給ふに、毛はむく/\とおひたる手の爪ながく刀のはのやうなるに、鬼なりけり、と、いとおそろしく思しけれど、臆したるさまみえじと念ぜさせ給ひて、「おほやけの勅宣うけたまはりて、さだめにまゐる人とらふるは、なにものぞ、ゆるさすばあしかりなむ」とて御太刀をひきぬきて、かれが手をとらへさせ給へりければ、まどひてうちはなちてこそ、丑寅のすみざまへまかりにけれ、思ふに夜のことなりけむかし。 (大鏡上) 大和絵の好画題として画かる。 島田墨仙筆 昭和十五年東京会出品 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|て]]
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