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しゃあん ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=謝安&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=謝安 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=謝安 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=謝安 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:謝安 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=謝安 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=謝安 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=謝安 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 謝安、字は安石、支那東晋の世の人なり、少にして重名あり、前後之を召すもの多かりしも、皆辞して就かず、士太夫皆之を惜しみ語って曰く、「安石出でずんば蒼生を如何せん」と、年四十始めて晋桓温の招きに応じて山荘を出で、仕へて征西司馬となる、後王坦之と共に朝に仕ふ、晩年会稽王道子と隙あり、太元十年官太保を以て卒す。安、文雅王道に過ぐ、徳量あり、秦の寇至る時、朝野皆震動せしも、安獨り夷然として碁を囲み墅を睹す、已にして捷書至る、安折りしも客と碁を囲みしも、捷書を一覧して座側に置き更に喜色なし、碁終り客その何事なるやを問ふに、小児輩賊を破るのみと答ふるのみ、やがて客去るや、安戸に入り喜んで屐歯の折るゝを知らざりしという。 京都新宮氏蔵日根対山の筆に「謝安山荘図」あり、日本絵画協会に橋本雅邦の出品あり。此他に文人画家の筆少しとせず。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|し]] ===東洋画題綜覧=== 支那東晋の人、陽夏に生れ、奕の弟である、字は安石といふ、少くして令名あり、屡々召されたが出でず、時人謂て曰く『安石出でずんば蒼生を如何せん』と、年四十余にして始めて命に応じ司馬となり、深く桓温に重んぜられた、尋で呉興大守となり、徴されて侍中に拝し、吏部尚書に遷る、桓温逆心あり九錫の賞を求めたが、安石これを知つて故らに事を緩くし、温をして之を得ざらしめ遂に死せしむ、太元八年前秦の苻堅大挙して入寇するや、安石、姪玄及石を将としてこれを拒がしめ、大に淝水に破つた、晩年会稽王道子と隙あり、官太保に至る、歿年六十六、大尉を贈り文靖と諡された。安石、大量あり、曽て秦の寇到るの時、朝野皆驚愕したのに、一人悠然として客と碁を囲み、その捷報の来たのに唯一瞥しただけで喜色も現はす、客之を問ふと小児が賊を破つたのみと答へた、そして客が去つてから始めて喜色を見せたといふ。日根対山に『謝安山荘』の作がある。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|し]]
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