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ぎおうぎじょ ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=祇王祇女&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=祇王祇女 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=祇王祇女 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=祇王祇女 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:祇王祇女 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=祇王祇女 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=祇王祇女 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=祇王祇女 CiNii図書検索] ===解説=== ===東洋画題綜覧=== 祇王は[[平清盛]]の寵を一身に集めた[[白拍子]]で、祇女はその妹である、清盛に初めて召された時、姉妹の白拍子は 蓬莱山には千歳経る、万歳千秋重れり、松の枝には鶴巣喰ひ、巌の上には亀遊ぶ。 と同音に歌ひ舞ふたので、清盛大に興を催し、姉の祇王を殿下に留め寵愛したが、妹祇女も姉の余光で洛中に盛名を馳せ、凡そ女児を持つ親の、此の姉妹を羨まぬはなかつた、然るに仏御前が現はれてから清盛の寵を奪はれ無常を感じ、清盛の常に見てゐる障子に 萌出るも枯るゝも同じ野べの草いづれか秋にあはで有るべき と書き捨てゝ殿中を退いた、仏は己が身故祇王の寵の衰えたことを察し、清盛に勧めて祇王を招いた、祇王は心進まず、止むなく祇女と同車して六波羅へ赴いた、折柄清盛は仏を前に酒宴中であつたが、強いて歌へといふので、渋々ながら 仏も昔は凡夫なり、我等も終には仏なり、三身仏性具しながら、隔つる心のうたてさよ と折返し歌つたので満座哀れを催さぬものとては無かつた、後、妹や母と共に剃髪した、時に祇王は二十一、祇女は十九。仏御前も、二人の噂を聞き、あとを追うて墨染の衣を纒ふ身となつた、仏は僅かに年十七であつた。 この事、『[[平家物語]]』(平家物語には義王義女)『源平盛衰記』第十七に精しい。 能にも「祇王」の一番がある、平家や盛衰記から取つたもので、祇王と仏と共に舞ふ所が主眼になつてゐる。 「いかに仏御前、あらおもしろの御述懐や候ふ、又御諚には、御前にてぞと御舞あれとの御事にて候ふ、「仰せに随ひ立ち上り、まづ悦びの和歌の声、いで祇王御前同じくは相曲舞に立ち給へ、「妾はいつも舞の袖、事ふりぬれば人々も、目がれて興やなからまし、「実に/\さぞと夕顔の、花の狩衣烏帽子を着、袖めづらかに出で立たん、「実におもしろや舞人の、衣裳を飾らば今ひとしほ、「有明月の影ともに、面つれなき心とは、我だに知れば恥づかしや、思ひは朝まだき、花の衣裳を飾らんと二人伴ひ立ち出づる。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|き]]
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