酒呑童子について

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総合

【概要】

「妖怪退治譚」「英雄伝記物語」としてくくられ、題材の親しみやすさと面白さゆえに古来よりもてはやされている。現在もあらゆる作品にとりあげられている説話のひとつである。日本における伝説の中でも、早くからカニバリズムの要素を用いているところが特徴的である。鬼の子伝説の代表的な物語。


【作品の流布】

16世紀末~17世紀初頭室町時代に成立した「御伽草子」が最も「酒呑童子」の伝説を世に広めることとなった。

15世紀初頭南北朝期に描かれた、逸翁美術館本「大江山絵詞」(通称香取本)が現存最古の「酒呑童子」を描いたものとされる。 16世紀初頭に成立したサントリー美術館蔵「酒伝童子絵巻」も有名。 二つが異なる点は、童子の棲み処をいずれとするかである。「大江山絵詞」が丹後国大江山とするのに対し、「酒伝童子絵巻」は近江国の伊吹山としている。この二つ以外にも南北朝~江戸期までに多くの体裁の作品が残されているが、それらは大江山系統と伊吹山系統に分けることが出来る。

狩野派、土佐派の画人が手をかけた作も多く、多数の伝本の存在がこの物語の流行を物語っている。読者層も、公家をはじめとする武家や僧侶、女性にいたるまで幅広かったようである。 歌舞伎、浄瑠璃の題材としても人気で、江戸時代に近松門左衛門によって「酒呑童子枕言葉」「傾城酒呑童子」などが上演された。 現在の歌舞伎の題材としても扱われることが多い。

「酒呑童子」を題材とした作品はとても多く、浮世絵では初期の黒摺絵からみられる。武者絵としてよく用いられ、幕末まで多く作られた。役者、美人画による見立て絵もつくられており、絵馬も残っている。歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられた形跡も多いことから、江戸時代頃には「酒呑童子」の話はかなり普及していたものだと思われる。


表記は「酒呑」「酒伝」「酒天」などと表し、その表記は一定しない。一般には「酒呑」が多く用いられるが、「大江山絵詞」において童子が自分を語る場面においては「酒天」とあるので、これを使うのが本来はふさわしい。


【出生】

・越後国で誕生し母親の胎内で十六ヶ月過ごし、生まれながらにして歯と髪が生えそろっていた。その後母親に捨てられ、鬼と化した。  

・「伊吹童子」が「捨て童子」が訛って「酒呑童子」となった説。

 室町末頃、大江山酒呑童子を前身とし、伊吹山中に捨てられた伊吹童子と結びつけた作品『伊吹童子』が生まれた。

・丹後に漂着した紅毛人シュタイン・ドッチが派生した説。葡萄酒を童子の好む生き血と例えられた。

・『西遊記』の「斉天大聖」の音に似せて案出された説。(高橋保昌氏による)



<参考文献>

『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館 1974年

『日本古典文学大辞典 第一巻』岩波書店 1983年

『日本古典文学大事典』明治書院 1998年

『原色浮世絵大百科事典』 大修館書店 1981年

『続日本絵巻大成19 大江山絵詞』中央公論社 1984年

『酒呑童子の誕生:もうひとつの日本文化』高橋昌明 中央公論新社 2005年

『酒呑童子の首』小松和彦 せりか書房 1997年

『酒呑童子異聞』佐竹昭広 平凡社 1977年