淡路人形

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あわじにんぎょう


総合


歌舞伎

淡路地方の人形浄瑠璃劇。 江戸時代の初期からあり、今の文楽座の創立者植村文楽軒は淡路出身である。享保から元文(1716-40)頃が最も盛んで、現在も市村六之丞、小林六太夫、淡路源之丞の三座があって技術もすぐれている。半農半漁で、農閑期に中国・四国・九州辺りに巡業にでかけ、常設の芝居小屋で三日位ずつ興行する。文楽と同じに義太夫節三人遣いであるが「賤ヶ嶽七本槍」や「北条時頼記」など文楽にない演し物がある。人形は文楽のより大ぶりで首も二寸位大きい。淡路人形にはこの他数人で三番叟の人形を遣って歩くのや、一人で使う夷まわしという門附芸人もある。