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総合

「仮名手本忠臣蔵」六段目の穿ち

【本文】 忠臣蔵穴さがし 三編

○六段目(ろくだんめ) .昨日<きのふ>山<やま>ざきの街道(かいどう)にてハ鉄砲雨(てつぽうあめ)のしだらでん 誰が水無月(みなづき)とゆふ立(だち)のト有(あり)てしかも与一兵へ 勘平(かんぺい)の死去(しけよ)せしは六月廿九日のよし 一力(いちりき)ニおいにてお軽(かる)へ平右衛門(へいえもん)が ものがたりニて 慥(たしか)なり しかれバ小(せう)の月(つき)なれば 翌日(あくるひ)勘平(かんへい)の内(うち)ニては七月朔日なり 夫(それ)に幕(まく)あけの文句(もんく)ニ麦(むぎ)かつ音(おと)の在郷歌(ざいがううた) ところも名(な)におふ山崎(やまざき)のトあり 又母親の詞(ことば)に イヤもふ在所(ざひしよ)はどこもかも麦秋(むぎあき)じぶんで いそがしいト云(いへ)り 七月朔日頃(ごろ)ニ 麦あきハ余(あま)りおくれすぎたり 何ばう閏(うるふ)のある年(とし)でも五月中旬(なかごろ)ニは麦(むぎ)を苅(かり)こむものなり 尤(もつとも)つう例(れい)の 年なれば五月せつ句(く)の前後(ぜんご)を麦秋(むぎあき)の時(じ)せつとす 山(やま)よせの在所とは言(い)ながら強(あなが)ち寒気(かんき)のきびしひ幽谷(ゆうこく)といふニは非(あら)ず  ○ 其上(そのうへ)与一兵への殺される場所ニはいつにでも藁(わら)をつみ上(あげ)たるものあり 俗(ぞく)にこれを稲(いな)むらと云(いふ) 田舎(いなか)にては是(これ)をすゝきと言ふ 秋(あき)の田(た)をかり米(こめ)をとりたるあとの藁(わら)をつみ置(おく)ゆへに稲村(いなむら)といふ しかれバ是(これ)は九月(くがつ)より後 ならでは無(なき)ものなり 六七月(ろくしちがつ)にあるすゝきならば麦(むぎ)わらならでは勘定(かんじょう)あわず 又折(おり)々 歌舞妓(かぶき)ニては稲(いね)の掛(かけ)てぼしに仕(し)たる道具立(どうぐだて)あり 是(これ)等も稲(いな)の苅(かり)こみ時(とき)なり

○猪より先へ いつさんに 飛ぶが如くに 急ぎゆく トいふ勢ひでは一日に三十里ぐらいわ苦ニならぬ達者なり 然れば最前 弥五郎ニわかれてより 余程の時をうつすといへども 弥五郎ニ追つき 金を渡した様子なり 夜道を急ぐ弥五郎ニさへ追付くらいの達者なれば 祇園町から一文字やが来て やつさもつさ いふているのに戻つて来ぬは 甚だ不審なり 又郷右エ門の旅宿へ金もつて行のならば内へ一たん戻って 着物のひとつも着かへて行さふなものを 蓑笠きて てつぽうかたげたまゝで金を持てて行から疑われさふな者なり 尤昨夜弥五郎との約束は何とぞ急に御用金をこしらへ明々日<めう/\にち>お目にかからんといふて別れたれば 其様ニ夜どうしニ親るいの近火見舞に行くやうに走つて行かいでも宜さふな物なり ○又夜山しまふて戻がけに見付けた与一兵への死がいを持てくるのが甚だおそし 三人の狩人が死がいを内ニおいて一眠してから来そふなこともなし