U0114500

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総合

今様擬源氏 二十八

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【野分】

発表者 小澤理恵


【翻刻】

野分

かせさわき むら雲まかふ ゆふへにも わするるまなく 忘られぬ君

(釈文)

玉藻ハ近衛院の御時大内に

仕安倍安成が祈によつてあらはれ   下野耶須野に飛去三浦上総

両士命をうけてことヽし野を分

ちて羞狐を狩しとなん


絵師:芳幾

改印:子七改


【背景】

白面金毛九尾の狐が、世界を魔界に陥れようと美しい女性に化けて、中国・天竺で王妃となり世を乱し悪行重ねるが、いずれも忠臣の働きで、見破られて逃亡している。後に日本に渡来し、玉藻前として、鳥羽天皇の寵愛を受ける。時の陰陽師の阿部康成にその正体を見破られて那須ヶ原へと逃れて追討の武将三浦介、上総介の両名に討たれるが、その怨念が那須野の石にとどまり、毒気を放ち近づく生き物を殺した。

(『浮世絵大事典』2008,6 国際浮世絵学会 東京堂)


【謡曲】

風も冷ややかな那須野の夕べ、廻国修行の玄翁と供の能力は、大石の上空を飛ぶ鳥が落ちてくる怪異に驚き、石に近づこうとすると、里の女が現れ、危険だから近づいてはならぬと呼びかけ、殺生石の由来を語る。

昔、鳥羽の院の寵愛はなはだしい美女がいて、仏典・和漢の知識、詩歌管弦に至るまで何を尋ねても曇りなく答えたので玉藻前と名付けられた。ある秋の雨の夜、吹く風に燈が消えたとき、玉藻前は身から光を放って御殿を照らし、以来、天皇は病となった。陰陽師安倍康成の占いで化生の者と正体を見破られた玉藻前は、野干(狐)に変じ那須野に逃れ、その執心が石になった、と語り、自分こそその石魂であると明かし、夜に姿を見せようと告げて石の中に消える(中入)。

能力が玉藻前の物語を詳しく語ったあと、玄翁が石に向かって仏事をなし偈を唱えると、大石は二つに割れ、石魂が妖狐の姿で現れ、自分の転生を語る。天竺では千人の王の首を取って祭らせた斑足太子の塚の神、大唐では幽王の后褒姒と現じて国を滅ぼし、日本に渡っては玉藻前となって王法を預けようとするも安倍康成によって見破られ、野干に変じて那須野に逃げたが、勅命を受けた三浦介と上総介によって射殺された。しかし、その執心は殺生石となって近づくものの命を取っていたが、玄翁の法力で悪心が去った今より後は悪事をしないと約束して、消え失せた。

(『新日本古典文学大系 57』 謡曲百番 1998,3 犬塚信一 岩波書店)


【歌舞伎『玉藻前曦袂』】

『玉藻前曦袂』は、文化三年三月二十六日初日の大阪御霊境内鶴沢伊之助座に初演された浄瑠璃で、作者は梅枝軒、佐川藤太である。このときの外題は「増補玉藻前旭袂」とあったが、これは寛延四年大坂豊竹座初演の浪岡橘平、浅田一鳥、安田蛙桂等による「玉藻前曦袂」を改作したものだからである。しかし、現在は文化年間に出来たこの作を、寛延の時の外題で上演している。

天竺から唐土を渡って日本へ来た悪い狐が、入内して玉藻前と名のった上臈を殺し、その姿に乗り移るという、大規模な構想である。現在上映されるのは、三段目の切、藤原道春館の場だけで、歌舞伎よりはむしろ、人形もしくは素浄瑠璃で人気のある出し物である。俗に「玉三」というのが、この場面である。


原作の序段は天竺で、鶴の精が織った着物を沙牟呂山の麓で着た魔物が班足王の後宮にはいって花陽夫人となり、王の心をたぶらかし、殺生にはげみ、仏教信者を弾圧する。これを諌めた普明長者は追放、皇后采姫は縛られて夫人の弓の的になる。危機一髪のところへ、獅子が飛んできて采姫を救うが、これは長者の家宝獅子王という名剣の化身で、長者が切りつけると、夫人は金毛九尾の狐となり、東の空に消える。王は改心して仏門に入る。

二段目は唐土で、殷の紂王に入内する姐妃の行列に老狐が飛び込み、美女にとりつく。老翁太公望が釣をしている所に文王が通りかかり紂王を倒すための助力を乞う。酒池肉林の快楽にふける紂王を梅伯が諌め、ほうろく責めに会う。文王は捕らえられて、わが子の肉を食べさせられる。そういう悪王も、太公望の軍勢に城を囲まれて死ぬ。楼門に立った姐妃が太公望に名鏡をつきつけられ、櫓から落ち、首を切られると、その死体から九尾の狐があらわれ、又もや東に飛び去る。

三段目は日本で、口は清水寺、王位を狙う薄雲の王子が右大臣道春の娘桂姫を妻にと望み納得しなければ首を討つように命ずる。そのあと桂姫と陰陽師康成の弟采女之助が参詣に来て、姫は采女之助に恋心を訴える。姫を取り巻く王子の一味を、采女之助が追い払う。そして、切の道春館になる。

三の切の主役は、上使にきた鷲塚金藤次で、敵役らしく見えるこの老人が、双六に勝った桂姫の首を切り、立ち去ろうとするのを、采女之助が刺す。それから本心を述べる段取りは、典型的なモドリの手法である。

四段目は神泉苑で、九尾の狐のついた玉藻の前が薄雲の王子の前に正体を明かし魔道の契りを交わすのを美福門院が立ち聞き、玉藻の前を暗殺しようとするが、その体が異様な光を放つ。そのあとの四の切は那須野の猟師十作じつは王子の家来那須の八郎の住家、娘おやなは姿が二つに見える奇病、そこに神主と坊主が二人の聟を連れてくる。おやなの夫矢田の大六が帰宅、おやなを切る。離魂病と見せたもう一人の女は大六が入り込ませた遊女亀菊で、押しかけた聟と思わせた三浦介・上総介の矢に射られた十作は亀菊を(おやなと双生児の)娘と知り、前非を悔いて剣を大六に渡して落ち入る。大六は髪をおろし、玄翁法師になる。

五段目は御所で摂政薄雲の王子の寵愛を受けている亀菊が訴訟を聞くくだりがあり、その亀菊は神鏡を采女之助に渡して王子に殺される。陰陽師康成は玉藻の前の正体を剣の威徳であらわす。またもや九尾の狐が飛び去るが、那須野ヶ原で三浦介・上総介に殺され、狐の怨念は殺生石と化すが、玄翁の祈りで怪異は消滅するという筋である。


(『名作歌舞伎全集 第四巻 丸本時代物集三』 1970,1 利倉幸一他 東京創元社 )


【殺生石】

下野国那須(栃木県)那須温泉付近にある岩石(輝石安山岩)。

(『浮世絵大事典』2008,6 国際浮世絵学会 東京堂)


【玉藻前】

伝説上の美女。鳥羽法皇の寵姫玉藻前は、天竺と中国において、婬酒によって王を蕩し、すこぶる残虐な所業や悪の限りをつくした果てに、日本に飛来した金毛九尾の狐の化身。

(『日本架空伝承 人名事典』1986 下中直人 平凡社)



【野分との共通点】

「野分」とは、秋に野の草を分けて吹く激しい風、台風である。

『源氏物語』の「野分」では、 (夕霧が雲居の雁に送った歌)風さわぎむら雲まがふ夕にも忘るる間なく忘られぬ君 吹き乱れる刈萱につけたまへれば、

となっている。これは、夕霧の雲居の雁に対する恋情の激しさを表現しているのではないだろうか。

『玉藻前物語』では、

ある時、九月廿日あまりのころ、あきのなこりを、おしませ給しに、簫歌殿にして、しいか、くわんけんの、御あそひあるに、いんは、けしやうのまひを、御そはに、おかせ給ふ、みすのうちに、御□ありけるに ていしやうのあらし、はけしくして、とうろの火を、ふきけつ所に、御そはに□ける、化生のまひの身より、ひかりをはなつて、てんちうを、かゝやかす

とある。

(『室町時代物語大成 第九』昭和56年 横山重 角川書店、『源氏物語』 紫式部  明治書院)


【『玉藻前三国伝記』】

[唐土]

人皇七十六代近衛院の御時。鳥羽法皇の内裏に。玉藻の前といふ宮女あり。寵愛を蒙り。さまざまの怪みを爲し。阿部康名が調伏によつて。金毛九尾の狐となり。三浦上総両介が矢先に一身を亡ぼし。遂には殺生石となり。那須野の原に故跡を残せし。

[天竺]

南天天竺華陽山の麓に。閔舎儀といふものあり。夫歸子なきを悲みて。華陽山の巓に登り。祈請して子を祈るに。忽ち東の方より。金毛九尾の狐。飛び来りていふやう。我れは唐土。殷の国の夫人姐妃なり。汝が腹を借りて。此国に生れんと云終りて。

・・・この時に宿した子が班足大王で、その大王が寵愛したのが、華陽夫人と名づけられ寵愛された玉藻の前である。華陽夫人の正体は九尾の狐であるので、班足大王が仏道を信じお経を読む度に、病を起こす。これを心配した班足大王は、お経を破り捨て、仏像を焼き捨ててしまう。華陽夫人は僧についても、反逆を考えていると仄めかし、僧も虐殺させてしまう。華陽夫人は千人の僧を招き入れた才妃をも殺し、その後も班足大王をそそのかしては仏道に関わる人物を殺していく。しかし、ついに華陽夫人は芙妙王の手によって正体を暴かれ、東の方へと逃げていく。


[日域]

人皇七十四代鳥羽の院。或る時白川へ御幸ありしに。只在る櫻の木の下にて。美目麗しき女を見給ひ。事の元を尋ね給ふに。先達て勅勘を蒙むりし。坂部道春が娘なり。何卒父の勅勘のお許しあるやうにと。清水寺へ参龍の。歸り道なりと物語りければ。法皇彼が容色に見とれて。直ぐに宮中へ伴ひ給ひ。扨て彼の父を。元の如く召返して。寵愛甚だ深かりけり。此玉藻の前は。道春が誠の子にはあらず。夫婦清水寺への参籠の道に捨てありし。幼な児を密かに拾ひとり。守り育て成人せし者なり。

・・・安部康成は玉藻の前の正体を見破り、玉藻の前暗殺を試みるが、金色の光を発し、玉藻の前は逃げる。しかし、安部康成の祈りにより、正体を表し、下野の国那須野に逃げ、三浦の介と上総の介に討たれる。

(『古典業書 式亭三馬集 第四巻「玉藻前三国伝記」』式亭三馬 1986年 誠晃社)

【神明鏡】

  『神明鏡』では、 此狐ノ腹内に二。金ノ壷有。其中二仏舎利アリ。是ヲハ院へ進上。額二白玉アリ。三浦介二給。尾ノ先ニ針二アリ。一ハ赤シ。上総介二給。狐ヲハ宇治宝蔵ニオサメラレケリ。

(『続群書類従 第二十九輯上 雑部 「神明鏡 上」』塙保己一 1972年 続群書類従完成会)


【奈良絵本】

 『玉藻の前』

きつねをは、はうさうにこめられ、いまにいたるまて、これ有

一、このきつねの、はらの中に、金のつほ有、その中をきれは、佛舎利有、、これをゐんへ奉れり

一、かしらに、しろき珠有、よろをも、ひるをも、てらしけり、これは、みうらのすけ、とりぬといふ

一、おのはしに、二のはり有、一はしろし、一はあかし、かつさのすけに給つて、あかきはりをは、うちのてら、せいりうしに、これをこめらる、白はりをは、助はらは、へいけをうらむることありて、いつの兵衛のすけ殿に、まいらすと也

(『室町時代物語大成 第九』昭和56年 横山重 角川書店)


【承応刊本】

 『玉藻の草子』

狐の腹に。金のつぼあり。中に佛舎利おはします。是をば院に進上す。

ひたひたに、しろき玉あり。夜ひる照す玉也。是をば、三浦介取也。

尾さきに、二つの針有。壱つは白し壱つはあかし。是をば、上総介取て。赤針をば、氏寺。清隥寺に納る。

(『室町時代物語大成 第九』昭和56年 横山重 角川書店)