ArcUP0448

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総合

江戸土産 浮名のたまづさ 足利頼兼 三浦高尾

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絵師:三代目豊国

判型:大判/錦絵

落款印章:好にまかせ 七十九歳豊国筆

出版年:

版元:近江屋久次郎

改印:子二改

配役:足利頼兼…二代目沢村訥升、三浦高尾…三代目沢村田之助

上演年月日:文久4(1864)・02

上演場所:江戸(見立)


■題材

伊達競阿国戯場

■梗概

 将軍義満の後継者を失おうとたくらむ仁木弾正一味は、将軍の弟頼兼が傾城高尾にうつつをぬかしているのを幸いに身請けさせる。彼らの本心を見抜いた谷蔵は、高尾にお家の大事を説き、死を進めるが、承知しないのでやむなく殺す。計略を妨げられた悪臣らは、ついに頼兼を殺害しようとするが、谷蔵の働きで危機を脱する。逃げ延びて某家に一時隠れることになるが、意外にもここは高尾の兄(三婦)と妹(累)の家で、ちょうど高尾の初七日の供養のときであった。高尾の怨霊によって谷蔵を妹の敵と知った三婦も、谷蔵の明かすお家の大事の前に仇討をのばし、妹累をめあわせて羽生村へおとす。一方、幼君兼冬殺害の悪計もあったが、政岡の忠節によってはばまれ、弾正らの謀叛が知れる。羽生村に隠棲する与右衛門(実は谷蔵)累夫婦のところへ頼兼の奥方薗生の前が難をのがれてくる。累は主君の奥方ということを信じ得ず、しっとのあまり与右衛門に殺される。

■配役

・二代目沢村訥升

四代目助高屋高助、1838~1886年。

本名沢村訥升。俳名は訥升、のち高賀。五世沢村宗十郎の長男。天保13年10月江戸中村座で沢村源平(二世)を名乗り初舞台。安政元年同座で二世訥升を襲名して立役となった。同六年冬京阪に上り、文久元年冬帰ってからは江戸歌舞伎における和事師の随一と賞賛され、明治二年正月には守田座で初めて座頭になった。父の芸風をついで品格があり、和事と実事とを得意とした。


・三代目沢村田之助

弘化2年2月8日(1845)~明治11年7月7日(1878)享年34歳

 5代目沢村宗十郎の次男。兄に4代目助高屋高助がいる。初め沢村由次郎と名乗り嘉永2年7月江戸中村座「忠臣蔵」8代目道行「千種花旅路嫁入」「に子役として遠見の小浪役で初舞台を踏む。6年11月父5代目宗十郎が没す。安政6年正月中村座「魁道中双六曽我」で3代目沢村田之助を襲名し弥生姫とお柚の2役をする。明治5年正月村山座にて一世一代として「国性爺姿写真鏡」に古今役で出演後引退する。11年の春に狂死した。


  • 「演劇百科大事典 3巻」、平凡社、昭和35年10月5日
  • 「歌舞伎人名事典」、紀伊國屋書店、2002年6月25日

■登場人物

・足利頼兼…足利左金吾頼兼。仙台藩第三代藩主伊達綱宗(1640~1711)がモデルで、足利頼兼というのは「伊達騒動」

を足利時代に仮託して描くための架空の人物。


・三浦高尾…実在の高尾は吉原三浦屋抱えの遊女で、江戸初期から何代にも渡る名妓であった。

二代目は仙台高尾とも呼ばれ、伊達綱宗に身請けされ、その後隅田川の中洲の三叉で高尾丸と名付けられた船の上から

吊るし斬りにされ参殺されたという伝説がある。


  • 「歌舞伎登場人物事典」白水社 2006.5.10

「伊達騒動」について

  奥州仙台の伊達家では、万冶元年に綱宗が隠居したのち、嫡子亀千代が家督を相続したが、年わずかに二歳だったので、政宗の末子である宗勝が後見人の地位に座り、それ以来国政を掌握して、私腹を肥やした。そこで、伊達安芸が上書を奉り裁断を仰いだ結果、酒井雅楽頭が取り調べに出張、判決のくだる日宗勝腹心の原田甲斐は安芸に対して刃傷に及んだという事件があった。結局宗勝は罪を問われたが、この一件は、世に「伊達騒動」として宣伝された。


  • 「歌舞伎名作辞典」 演劇出版社 平成8年8月10日

浮世絵から読み取れる場面について

今回の「浮名のたまづさ」で豊国が描いた場面は、「伊達競阿国戯場」の序幕「島原西川屋の場」であると考えられる。

「島原西川屋の場」では、まず頼兼が大夫の高尾など他のものを連れて島原の仲の町に桜見物に来る。 そして宿泊する西川屋で用意してもらった料理を食べ、お酒を飲んでいた。 するとそこに、鬼貫、黒澤官蔵と四人の家来たちがやってきて、高尾を無理に連れて行こうとする。 頼兼らみんなが驚き、戦おうとした時関取の絹川谷蔵が遅れて登場し、頼兼と高尾を守る。 実はこの鬼貫が頼兼の伯父で、8代目武将の善政の実の子、兼若丸がまだ幼少であり、別腹の弟頼兼が天下の武将となったにも関わらず、 傾城の高尾に心を奪われ、武将としてあるまじき姿で、放埓しているためこの島原まで追いかけてきたとのこと。 この後、頼兼はお酒を飲まされ酔ってしまい、頼兼が放埓しているのは高尾がいるからだと言って鬼貫が高尾を奪おうとする。 しかし、仁木弾正左衛門の寸志の計らいで、頼兼は高尾の身請け證文をもらう。 しかし、これはすべて任木弾正左衛門の企みで、鬼貫が高尾に惚れ奪おうとしたのもすべて計画であった。頼兼と高尾が一緒になることで 任木弾正左衛門が天下の座を奪おうとしたのである。しかし、この悪巧みを知った谷蔵は高尾のもとへ行き このままでは頼兼のためにならないから身を引いて成仏してくれと頼む。しかし、高尾は頼兼の側にいたいと言うことを聞かず ついに谷蔵は高尾を殺してしまう。

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この絵は、三代目豊国によって描かれた「足利頼兼」「三浦屋高尾」「絹川谷蔵」という絵である。

この絵には頼兼と高尾だけでなく、谷蔵も描かれており、上に書いた「島原西川屋の場」の一場面であると考えられる。 また、この絵と「浮名のたまづさ」を比べてみると、頼兼と高尾の位置が逆ではあるが 頼兼が刀を抜いて、刃が少し見えている状態からこの二つの絵は同じ場面が描かれているのではないかと考えられる。


また、「日本戯曲全集第16巻 伊達騒動狂言篇」(春陽堂、昭和4年5月)にもこの場面と一致するような頼兼の刀を抜く絵本番付が見られた。

(画像がないので、スクリーンに映す。)

この番付も、「島原西川屋の場」の途中で描かれており、まさにこの3つの絵は共通して頼兼が鬼貫らから高尾を守ろうとしている場面を 絵描いているのではないかと考えられる。

遊女高尾について

実在の高尾は吉原三浦屋抱えの遊女で、江戸初期から何代にもわたる名妓であった。 初代の伝は詳らかではないが、二代目は仙台高尾とも呼ばれ、伊達綱宗に身請けされ、その後隅田川の中洲の三又で高尾丸と名付けられた船の上から 吊るし斬りにされ惨殺されたという伝説がある。

  • 「歌舞伎登場人物事典」白水社 2006.5.10


このように、高尾の吊るし斬りが伝説となり有名なのだが、実際は病死しているらしい。(「名作歌舞伎全集」より) また、この伝説のように頼兼が高尾を高尾丸という船の上で吊るし斬りにするという歌舞伎も存在する。

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この絵は、3代目豊国によって描かれたものであり、頼兼が船の上で高尾を殺そうとしているが 吊るし斬りではないので、吊るし斬りをする前だと考えられる。 次の4つの画像は頼兼が実際に高尾を吊るし斬りしているシーンが描かれている。

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一番左が3代目国政が描いたもので

その右隣が国芳が描いたもの

その隣の3枚目と4枚目は1代目豊国が描いたもので、この二つの絵は上下につなげて1枚の絵となる。

どれも共通して船の上での場面であり、左の絵では高尾が吊るし斬りされているのがよくわかる。

また、左から2番目の国芳の絵も頼兼の腕に高尾の髪の毛と思われるものが巻きついており、

これはすべての絵に共通して見られる。

最後の1代目豊国の絵も2枚をつなげることでより吊るし斬りの迫力が増しているのではないかと感じられた。

以上より、これらの絵はすべて同じ場面を表しているのではないかと考えられる。

まとめ

今回取り扱った「浮名のたまづさ」では、場面が非常に歌舞伎と関係していて

物語や、他の同じ場面を描いているであろう浮世絵から読み取ることができた。

絵の場面から「伊達競阿国戯場」の序幕しか深く研究することができなかったので、

この物語の後半である、高尾の怨霊が妹累にとりついてしまうシーンの研究も

今後進めていきたいと思った。

また、遊女高尾を調べたことによって、同じ登場人物である頼兼と高尾も

「浮名のたまづさ」では頼兼が、高尾を守っているのに対して

高尾が船の上で吊るし斬りにされる歌舞伎を描いた浮世絵では、頼兼が高尾を殺す

というように、同じ人物を描いているにも関わらず物語が違うと全く見方が変わってしまうことに

おもしろさを感じました。


追記

①                       ②
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①「江戸芝居絵本番付集(3)」(平文社、平成4年9月15日)

文久元年(1861)年4月21日 に中村座でおこなわれた「伊達競阿国歌舞伎」の一番目浄瑠璃の「高尾丸千潮の三股」の絵本番付の一場面である。 浮名のたまづさの見立と一番近い上演がこれである。 舞台は高尾丸という船の上で、頼兼が持っているのは「浮名のたまづさ」では刀で、「絵本番付」では杯と異なるが 頼兼が高尾の前にいるという二人の位置関係や、高尾の右手と顔の角度や、頼兼の顔の角度が似ていると考えられる。


②国周 「見立三福対」「高尾 沢村田之助」「頼兼 沢村訥升」

配役は高尾が三代目沢村 田之助、頼兼が二代目沢村 訥升で、浮名のたまづさと同じ。

うそとまことのふたせ川 たまされぬきてたまされてすえはのとなれやまとなれ わしが○もひいきみ○へならばみつ

またがわの舟のうち○ ○うちを○さつし


また、「歌舞伎年表」で、文化から文久時代までの「伊達騒動」の歌舞伎を調べてみた。

  • 文化2年3月27日市村座「伊達姿花見御殿」
  • 文化7年9月9日中村座「伊達遊花街風俗」
  • 文化10年3月5日中村座「其面影伊達冩繪」
  • 文化12年1月11日中村座「伊達彩曽我雛形」
  • 文政4年3月5日中村座「伊達模様解脱絹川」
  • 天保3年3月13日河原崎座「伊達鏡」
  • 天保14年2月18日中村座「伊達競阿国戯場」
  • 嘉永2年4月2日中村座「伊達旭盛櫻彩幕」

以上の歌舞伎の絵本番付には、高尾丸の上で高尾が頼兼に吊るし斬りにされる場面が描かれていた。 高尾の吊るし斬りを含む上演の台本をまだ見つけることができていないため今後の課題として絵本番付からもっと読み取れるものを見つけていきたい。 また、この二つの絵から今回の「浮名のたまづさ」も船の上での場面と考えられるが 決定的な手掛かりがまだ見つけられていないため、他の絵本番付や浮世絵との比較の中で 共通するものを探し出して、解明していきたいと思う。


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