201-4235

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総合

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[翻刻]

朝顔

見しおりのつゆわすられぬあさかほの花のさかりは過やしぬらん

此勝頼といえるは武田方身替にて

ありけるを誦信知て自利せしむ

このとき蕣の花のしぼめる迠

時刻をのべしとなり又花造のみ

の作こそ真の勝頼きたれり


絵師:芳幾


[題材] 本朝廿四孝

浄瑠璃。五段。近松半二・三好松洛・竹田小出・竹田平七・竹本三郎平衛の合作。明和三年一月十四日大坂竹本座初演。武田・上杉の争いを中心に、武田の一子勝頼と上杉の娘八重垣姫の恋、両家の忠臣山本勘助、直江山城兄弟と老母の活躍等が複雑に展開する。

上杉家は、武田の家宝。諏訪法性の兜を借りたままで返さない。死んだとされている武田の嫡男・勝頼は花作りの蓑作と名乗り、恋人の濡衣とともに上杉の館に潜入する。謙信の娘・八重垣姫は許婚の絵姿そっくりの蓑作を見て勝頼と気づき、御殿の中ですがりつく。謙信は、蓑作に塩尻への使者を命じ、討手に後を追わせる。勝頼を思って苦悩する八重垣姫。奥庭の紙殿に祀られた諏訪法性の兜を手にすると、狐の霊力が乗り移る。姫は勝頼に危急を告げるため、張りつめた諏訪湖の氷の上を一気に走っていく。



(武田勝頼)

安土桃山時代の武将。天文十五年~天正十年。武田信玄の三男。天正二年家康の属城高天神城を攻略。また美濃へ攻め入り、信長の諸城を攻略した。天正三年五月、長篠の合戦で惨敗。同五年一月、北条氏政の妹十四歳を後妻に迎え、北条との関係は修復された。だが六年三月、上杉謙信の急死で養子の景勝と、氏政の弟でこれも謙信の養子の景虎が跡目相続を巡り争い、景勝が勝頼に支援を求め、勝頼が応じたことから、氏政と手切れになると、北条方の沼田城その他の諸城を攻略した。九年三月高天神城が陥落し、十年五月には木曽義昌が織田に寝返り、織田・徳川の連合軍に攻め入られ、田野で敗死した。


(腰元)

上流の商家の人々の側に仕えて雑用をたす侍女(小間使)をさし、身の回りにおいて使うことから腰元使ともいう。また遊女屋の主人の居間や帳場で雑用に使われる女をいった。一般には江戸時代に武家方の奥向きに仕える女中と同義である


[朝顔]

(花)

ヒルガオ科の一年草。夏から初夏にかけて、ラッパ形の花を早朝に開花し、昼前にはしぼんでしまう。茎は蔓性で左巻き。長さは、二メートル以上にもなる。奈良時代に中国から渡来し、漢名「牽牛子」。花の色は、淡青色のみであった。種子は、利尿剤や下剤など、薬用として珍重され、大変高価であった。平安時代の歌ことば「朝顔」は、大きく分けると、「はかなさ」と「朝の顔」という、二つの異なるイメージでとらえられる。『源氏物語』における「朝顔」も、このようなイメージの延長上に位置すると考えられている。全十六例のうち、実に半数の八例が、朝顔の姫君に関係して使われている。朝顔の姫君の呼称として、また、光源氏と姫君との過去の交渉を象徴する花として使われている。

(あらすじ)

『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第20帖。巻名は光源氏と朝顔の歌「見しおりのつゆわすられぬあさかほの花のさかりは過やしぬらん」および「秋はてて露のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔」による。光源氏32歳の秋から冬の話である。若い頃から桃園式部卿宮の娘の朝顔に執着していた源氏は、朝顔と同居する叔母女五の宮の見舞いにかこつけ頻繁に桃園邸を訪ね、紫の上を不安にさせる。朝顔も源氏に好意を抱いていたが、源氏と深い仲になれば、六条御息所と同じく不幸になろうと恐れて源氏を拒んだ。朝顔への思いを諦めた源氏は、雪の夜、紫の上をなぐさめつつ、これまでの女性のことを話して過去を振り返る。その夜源氏の夢に藤壺があらわれ、罪が知れて苦しんでいると言って源氏を恨んだ。翌日、源氏は藤壺のために密かに供養を行い、来世では共にと願った。

(『源氏物語』からみる朝顔)

朝顔は、夕方にはしぼむ花であることからはかないものの喩えであり、朝の顔という連想から共寝の女性の寝起きの顔を象徴する歌語である。源氏は「見しをり」と直接体験の過去を意味する助動詞「き」を使って歌うが、姫君との間に実際に契りがあったか否かは解釈の分かれるところである。あたかも情交関係があったかのように戯れて詠んだととるか(『新大系』など)、「一度だけ契り交した」が、「以後、二度とは契るまいと身を固く閉ざしつづけた」(鈴木日出男「朝顔・夕顔」『源氏物語歳時記』筑摩書房)ととるかである。後者であれば空蝉の人物像と重なってくるわけである。姫君は源氏のこの歌に全く反発していないことから、単に朝方の姿を垣間見られただけということも考えられる。この歌は、現在の朝顔の美しさを讃える表現ではない。逆に「美しい花の盛りを過ぎたのでは」と案じている。



[考察]

題材である「本朝廿四孝」の登場人物である武田勝頼とこしもと濡衣の関係は「源氏物語」の光源氏と朝顔との関係に似ているように感じる。朝顔は光源氏のことを愛していたが紫の上のことを思って身を引いた。こしもと濡衣は武田勝頼を亡き恋人と重ねて見ていたが、八重垣姫に武田勝頼に対する思いを聞き、八重垣姫のことを思って身を引いた。この二つの心情を重ねて描いたのがこの作品であるように思う。


[参考文献]

「国立文楽劇場上演資料集18 文楽 刈萱桑門筑紫轢・傾城反魂香・連獅子・本朝廿四孝」国立劇場、1988

「源氏物語歳時記」鈴木日出男、1989、筑摩書房

「国文学『解釈と鑑賞』別冊」川上潤、平成16年、至文堂

「日本古典文学大事典」平成10年、明治書院

「日本説話伝説大事典」池嶋洋次、平成12年、勉誠出版

「浮世絵大事典」松林孝至、2008年、東京堂出版