黄鶴楼

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

こうかくろう


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

支那武昌府城の西南にあり。昔費褘登仙し、毎に黄鶴に乗じて此に駕を憩ふ、故に黄鶴楼の名ありという。

唐詩選に崔顥が黄鶴楼の詩あり、元の孫君沢画く所京都芳春院に蔵す。我が国にても狩野探信其他狩野派のものに此図少しとせず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の名勝、武昌府城の西南にある、昔、江夏郡の酒賈辛氏の宅に仙客費褘あり、半歳の間辛氏に酒債を負ひ之に酬いる為め壁に鶴を画く、此鶴よく舞ふ、衆人これを異とし銭を費して之を観る、十年許にして辛氏巨万の富を重ねたが一日仙客費褘の来るや、画鶴舞うて費褘の前に到る、費褘即ち之に乗つて登仙す、辛氏こゝに於て閣を建て黄鶴楼と名付けたと、その詩載せて『唐詩選』にある。

    黄鶴楼     崔顥

昔人已乗白雲去、此地空余黄鶴楼、黄鶴一去不復返、白雲千載空悠々、晴川歴歴漢陽樹、芳草萋々鸚鵡洲、日暮郷関何処是、煙波江上使人愁。

黄鶴楼を描ける作に左の諸点がある。

六孫君沢筆          京都芳春院蔵

岡眠山筆           大村伯爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)