黄蘗禪師
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おうばくぜんし
画題
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解説
画題辞典
黄蘗禪師、名は希運、黄蘗宗の開祖なり、閩州の人、身長七尺、額に肉珠の隆起あり、音声朗潤、志意沖澹なり、初め黄蘗山に於て出家し、天台山に赴かんとして、道に一僧に會ひ一見旧知の如し、會々河水漲るものあるに際し、杖を止めて立ちしに共僧平然水上を行く平地を履むが如し、而して希運を顧みて麾く、希運大に怒りて曰く、吾早く汝を知らば汝の脛を断つべかりしにと、是に於て其僧、是れ大乗の器なりというて去るといふ、希運後京洛に托鉢し.又百丈懐海に参じ、其の開示に會うて法要を得たり、後、大安寺に往き多くの學徒に混じ.掃洒の労を取りし時、會々斐相休の観察使に任ぜられて大安寺に來るあり、壁画を見て何の目なりやと聞ふ、主事高僧の真儀なりと答ふ、又問ふ真儀は已に見たり,高僧は何処にありやと、主事應ずる能はず、大衆の中より希運を選びて之に對せしむ、希運、直下に裴相休と呼びしに、斐相休の声に随つて應ずるを聞き、却つて高僧何処にありやと問ふ、裴相休即ち其旨を領し、遂に弟子の禮を取り、希運の黄蘗山に住し、法道を興すに及び、屢参謁す、績いて鐘陵及宛陵の太守となるに及び.龍興及開元の二寺に迎へて法要を受く、希運、後閩州の旧山に帰り、門風の隆盛を極め、唐宣宗大中四年入滅す、宣宗前緣の三掌過去現在未来の三際を断ぜりとて断際と諡す、宇治万福寺に画像あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)