黄文粛

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こうぶんしゅく


画題

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解説

画題辞典

黄文粛公は支那宋代の学者なり、名は幹、字は直卿、勉齊と号す。福州閩県の人、攻学甚だ勉む。朱子其女を以て娶わす、寧宗即位の初め将仕郎に拝し、次いで台州酒務に監たり、至る所善政あり。安寧府知事たりし時、金人光山を破り、民情震怖す、幹独り城を守り事なきを得、已にして致仕にして蘆山に入り、学を樂しみ徒弟を導く、帝再三召せども応せず、蘆山に卒す、文粛と謚す。

渡辺崋山画く所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

黄文粛は支那宋代の碩学、名は幹、字は直卿、勉粛と号す、福州閩県の人で、学殖極めて深く、朱子は娶すに其女を以てした、寧宗即位の初め将仕郎に拝し、次で台州酒務となる、善政あつて聞ゆ、その安寧府に知事たりし時、金人光山を破り民情震怖した時、独り城を守つて事無きを得た、後廬山に入り学を専らにし幾度か帝に召されたが辞して受けず、廬山に卒す、諡して文粛公と云ふ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)