鵯越

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ひよどりごえ


画題

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解説

東洋画題綜覧

みなもとのよしつね「源義経」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


義経が勇武を現はした物語の一つ、『源平盛衰記』に曰く

九郎義経は鷲尾を先陣として、一谷の後、鵯越へぞ向ける、比は二月の始也、霞の衣立阻て、緑を副る山の端に、白雲絶々聳つゝ、先咲花かとあやまたる、未歩なれぬ山路也、行末はそこと知らねども、征馬の足に任せつゝ、各先にと進けり、まだ夙〈ほの〉暗き程也、道には泥みけれ共、矢合時を定たれば、明るを待に及ばずして谷に下峰に登、引懸引懸打けるに、一の谷の後に篠が谷と云所に人の音しければ、押寄て何者ぞと問、名乗事はなくて散々に射ければ此奴原は平家の雑兵にこそ有らめ、一々に搦捕頸を切り、軍神に祭れとて源氏も散々に射ければ此にて平家多討れにけり、其後鷲尾尋承にて下上打程に辰半に鴨越一谷の上、鉢伏磯の途と云所に打登、兵共遥に差のぞきて谷を見れば、軍陣には楯を並突、士卒は矢束をくつろげたり、前には海、後は山、波も嵐も音合せ、左は須磨右は明石、月の光も優ならん、追手の軍は半と見えたり、喚叫声射違鏑の音、山を穿谷を響し赤旗赤符〈しるし〉立並べ春風に靡く有様は、劫火の地を焼らんも角〈かく〉やと覚たり、時既に能成たり、追手に力を合せんとて見下せば実に上七八段は小石交の白砂也、馬の足とゞまるべき様なし、歩〈かち〉にても馬にても落すべき所に非ず、さればとてさて有べき事ならねば只今まで乗たりける大鹿毛には、佐藤三郎兵衛を乗せ、我身は大夫と云馬に乗替て谷へ打向け給〈たまひ〉、鹿の通路は馬の馬場ぞ、各々落せ/\と勧給ふ、兵共我も我もと馬をば谷へ引向けて、心は先陣とはやれ共、流石いぶせき碊〈かけ〉なれば手綱を引へて跟蹡〈やすらへ〉ば、馬の恐て退けり、互に顔と顔とを見合て、いづくを落すべし共見〈みえ〉ず、軍将宣けるは、一は馬の落様をも見、一は源平の占形なるべしとて、葦毛馬に白覆輪白ければ白旗に准〈なぞら〉へて源氏とし、鹿毛馬に黄覆輪赤ければ赤旗になぞらへて平氏とて追下す、各木間にて是を見上るに、七八段は小石交りの砂なれば、宛転〈まろぶ〉ともなく落るともなく下〈くだり〉つゝ巌の上にぞ落着たる、良〈やゝ〉暫有て岩の上より宛転〈まろび〉下り越中前司盛俊が仮屋の後に落附て源氏の馬は這起つゝ身振して峰の方を守二声嘶、篠草はみて立たり、平家馬は身を打損じ臥て再起ざりけり、城中には是を見て敵のよすればこそ鞍置馬は下らめとて騒ぎ迷ひける処に、御曹子は源氏の占形こそ目出たけれ、平家の軍左様あるべし、人だに心得て落すならば悞ち更にあるまじ、落せ/\と宣へども我だに恐れて落さねば人も恐てえおとさず白旗五十旒計梢に打立て宣ひけるは、守て時を移すべきに非ず、碊〈かけ〉を落すには手綱あまたあり、馬に乗には一つ心、二つ手綱、三に鞭、四に鐙と云て四の義あれども所詮心を持て乗る物ぞ若き殿原は見も習乗も習へ、義経が馬の立様を本にせよとて真逆に引向、つゞけ/\と下知しつゝ馬の尻足引敷せて、流落に下たり,三千余騎の兵士共、大将軍につゞけとて白旗三十旒、城の内へ指覆、轡並て手綱かいくり同様に尻足しかせて、さと落して壇の上にぞ落留る、夫より底を差のぞいて見れば石巌峙て苔むせり、刀のはに草覆へる様なれども、いといふせき上十二丈もやあらんと見え渡る、下へ落すべき様もなし上へ上るべき便もなし、互に堅唾を呑て思煩へる処に三浦党に佐原十郎義連進出で、我等甲斐信濃へ越て狩し鷹仕時は兎一つ、起つとも鳥一つ立ても将輩に見落されじと思ふには、是に劣る所やある、義連先陣仕らんとて手綱掻いくり鐙踏張り只一騎真先蒐て落す、御曹司是を見給て義連討すなつゞけ者共/\と下知して我身もつゞきて落されけり。(下略)  (源平盛衰記六七)

鵯越は盛衰記の中でも勇壮な処から歴史画としてもよく描かる、左の作がある。

小堀鞆音筆  鈴木松子氏蔵

河野通勢筆  第一回南宗展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)