鳩摩羅多

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くまらた


画題

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解説

東洋画題綜覧

付法蔵の第十八祖で、禅宗の第十九祖、北印度呾叉始羅国の人、童愛、童寿、童首、童子等と訳す、其出世年代は詳でないが、恐らくは西暦紀元第三世紀末であらうといふ、呾叉始羅国に生れ幼にして聡慧、後出家学道し、僧伽耶舎に付法せられ、才学世間に聞ゆ、初め呾叉始羅国にあつて諸論を述作したが、後に羯盤陀国に至り、教化を事とした、生来典籍に親しみ、玄旨を極めて正法を立て邪見を摧き高論清挙、難として酬いざるはない、時人呼んで日出論師と号し、馬鳴、提婆、竜樹と共に四日論師と称した。

鳩摩羅多、嘗て遊化して某国に到る、土人頑迷にして法教を聞いても之を信ぜず、乃ち命じて鉄馬万騎を集め人をして之に乗り以て其前を過らしめ一見して後、尽く其人名馬色衣服相貌等を説くに一の錯誤がない、茲に於て土人厚く之を信服し遂に仏教に帰したと、後法を闍夜多に付し遂に入寂した。  (仏教大辞彙)

『芥子園画伝』に其像が載せてある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)