魏徴

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ぎちょう


画題

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解説

画題辞典

魏徴は支那唐初期の賢佐なり、字は玄成、魏州曲城の人、甫め布衣より起リ書檄を典して李密に用いらる、後隠太子建成引いて洗馬となす、その弟秦王世民位に即き、太宗文武皇帝となるに及び、是より先、徴が建成に勧めて世民を除かんと謀りしを難じたりしに、弁じて屈せざりし大義に感じ、挙げて諫議大夫に拝し、鉅鹿県男に封ず、常に建白する所剴切にして、毎に帝の心に当る。曽つて曰く、臣をして良臣たらしめよ、忠臣たらしむる勿れと、後世伝えて名言となす。貞観十七年疾篤し、帝屡々親問す。薨するに及び。慟哭して廃朝三日に及び、百官をして喪に就かLむ。文貞と謚し司馬相州都督を贈る。徴又詩賦を善くす、その述懐の詩は五言古詩の白眉なり。「述懐、魏徴。中原還逐鹿、投筆事戎軒、縱橫計不就、慷慨志猶存、杖策謁天子、駆馬出関門、請纓繫南粤、憑軾下東藩、鬱紆陟高岫、出沒望平原、古木鳴寒鳥、空山啼夜猿、既傷千里目、還驚九折魂、豈不憚艱険、深懐国士恩、季布無二諾、侯嬴重一言、人生感意気,功名誰復論」

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那唐の名士、字は玄成、魏州曲城の人、少くして大志あり、初め李密に事へて用ひられず、遂に唐の高祖に事へ、命を受けて李勣を説き之を降し、尋で太子建成の東宮官属となり、建成に勧めて秦王世民を除かしむ、成らず、建成却て世民に殺さる、世民徴を召して曰く、汝何ぞ我兄弟を離間するやと、徴、自若として対へて曰く老太子早く徴の言に従はゞ必ず今日の禍無からんと、世民容を改めてこれを礼し、引て詹事主簿となし、後諌議大夫とした、世民立つて太宗となるや、忠言直諌よく帝を規正した、又嘗て勅を奉じて秘府の群書を校輯し又、斉、梁、陳、周、隋諸史の撰に与り、序論を撰ぶ、貞観十七年卒す、鄭国公に封じ、文貞と諡した。  (日本百科大辞典)

魏徴、詩を善くし、その作『述懐』は、唐詩選の開巻第一にあつて人口に膾炙せらる。

     述懐     魏徴

中原還逐鹿、投筆事戎軒、縦横計不就、慷慨志猶存、仗策謁天子、駆馬出関門、請纓繋南越、憑軾下東藩、鬱紆陟高岫、出没望平原、古木鳴寒鳥、空山啼夜猿、既傷千里目、還驚九逝魂、豈不憚艱険、深懐国士恩、季布無二諾、侯嬴羸重一言、人生感意気、功名誰復論。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)