髑髏尼

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どくろのあま


画題

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解説

画題辞典

髑髏尼のことは源平盛衰記にある逸話なり、或る尼の吾が子なるか養君なるか、五六歳ばかりの幼年のものゝ髑髏を懐に入れ持ち、折々取出しては小車に並べて見ること哀れ深しとなり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

髑髏尼とは桜町中納言成範卿の娘で新中納言御局のこと、重衡卿との中に生れた若君と共に乳母一人伴ひ遁るゝ道すがら、北条勢に捕へられ、若宮は無惨にも首を討たれる、局は悲嘆のあまり長楽寺の阿証坊印西に就いて剃髪し若宮の首とその手遊の小車とを持つてさすらひ歩く、人々は髑髏の尼と呼んで修行者の中にも加へず疎んじたが、今宮の木津といふ所から漁船に乗つて沖に出で、首もろ共に入水する、この哀れな物語は『源平盛衰記』四十七にある、その一節を引く。

暫く都にも御座し度は思召けめども、若公には別れ給ひぬ、其形見にもと思給し乳母をさへ先立て、難面命の今日までも、何にながらへてとぞ常は歎給ける、奈良に参りて興福寺、東大寺の焼跡共拝廻給ふにも、さこそ罪深く悲くおぼしけめ、御姿を窄し、乞食修行者の様に成果て、浅増気にて行寄所を臥どとし、乞得物に命をつぎて悲行ける程に、既に年の暮にも成ぬ、修行者の尼共多く有けれ共、此尼を見て疎けり、さもぞ怖しき尼よ、ひたすら下臈かとすればさにもあらず、五六計なる少者の頸を懐に入持て、常に取出して厳しき小車に並て見る事のきたなさよ、親子に別るゝ事はよの常の習ぞかし、さまであれ程に有べしとも不覚とて、悪む者多し、又堪ね思はさのみこそあれ、悲しき子に後れて糸惜さの余心の置所のなきにこそするらめ、如来在世の往昔に、提婆提女と云けるは、一子の女を先立て、其身を干堅めて頸に懸けてありきけり、様なきにもあらずとて、情をかくるものもありけり、角は云けれども髑髏の尼と名附て修行者の中には不交けり。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)