養叟和尚

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

ようそうおしょう


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

養叟和尚は名は宗願、養叟はその號なり、京都の人、八歳にして東福寺に投じ後諸名匠に就きて参究し、文安二年詔によりて大徳寺に居る、後花園天皇召して禪要問ふ、寶慧大照禪師の號を賜ふ、長禪二年六月寂壽八十三文清筆養叟和尚像(京都大徳寺所蔵国宝)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

京都大徳寺の高僧、字は養叟、俗姓は藤原、山城の人、八歳で東福寺の九峰の弟子となり剃髪、受戒するに及んで侍局に列し東山に蔵鑰を掌り職満ちて土佐に赴き吸江庵の大周奝に参じ尋で播磨の書写山に心空上人に就て台教を聞き、更に近江の禅興庵に到り華叟に参じ契合し、居ること十六年竜峰山に帰り元安二年秋勅を拝して大徳寺を董す、後、紀伊の贄川氏、徳禅院を剏して請じたので、その地の風光を愛し終焉の地と定めたが、細川勝元帰洛を懇請したので再び大徳寺に帰つた、後、大徳寺の炎上に際し竭力経営雲門塔を建立した、後花園天皇、屡々禁中に召されて禅要が向はせ給ひ特に宗慧大照禅師の号を賜つた、長禄二年六月二十七日入寂、寿八十三。  (本朝高僧伝)

大徳寺に文清筆養叟和尚像がある、国宝たり。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)