風外

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ふうがい


画題

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解説

東洋画題綜覧

江戸時代の禅僧にして画人、上野国碓氷郡土塩村の人で、幼にして穎悟、長ずるに及び仏門に入る、性画を好み嘗て達磨の像を描く、筆力清逸にして松花堂と伯仲すと称せらる、その画を請はんとすれば米五升を携へて之と代へ、米が尽きると又画く、貴人や富豪が強いて請ふとも笑て応ぜず、小児が之を請へば喜んで筆を執る、相模の曽我村に土窟を掘て之に居る、土人乞食僧といふ、毫も意に介せず、箱根山中に大な扁平な石があつた、重さ何程あるか知れない、一日風外出でゝ急雨に遭ひその石を頭上に載せ杖を曳いて行く、土人驚いて常人でないのを知つたといふ、平常親を慕ふこと深く、父母の像を石に刻んで携へ、朝夕香花を手向けて怠らず、小田原城主稲葉侯、風外の名を聞き、山中に寺を建てゝ懇ろに之を迎へたが、風外肯せずして鉄牛をして之に代らしめた、ある時鉄牛、風外に謂て曰く、師超然世を遁れ閑居して禅を修む、欣慕に堪へないと、風外の曰く近頃の出家は難事ではない、独り出家して更に出家するのがむつかしいと、稲葉侯之を聞き愈々景慕し之を土窟に訪ふと、唯麻衣と破鍋が一枚残してあつた、後、伊豆の真鶴に穴居し土人に命じ穴を堀らしめて入寂した。  (画乗要略其他)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)