頼豪阿閣梨
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らいごうあじゃり
画題
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解説
画題辞典
頼豪ほ延暦寺の信にして賞相坊と琥す。伊賀守藤原有家の子にして碩學の聞高し、自河天皇の御婦依あり、天皇曾つて皇子を得んとして頼豪に所らしむ、因つて酬ゆるに望む所を以てせんと約す、己にして中宮子み、承徳元年十二月敦久親王を生む、頼豪師ち約によりて寺に戒壇を築かんことを請ふ,天皇山徒の憤を恐れ之を允さす、頼豪憤適ゝ食を絶つ敷日.帝大江匡房を遣はL之を論さLめしも面せす、應徳元年飢ゑて死ず、皇子亦尋いで売す、世に是れ頼豪の怨霊の鼠となりてを果をなせし所なりと稚ず、源干盛衰記その他に在り、土佐光信筆頼豪草子給巻あり。 一に山王寧瞼記給谷ともいふ、東京帝室博物館に基本あり
(『画題辞典』斎藤隆三)