頼山陽

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らいさんよう


画題

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解説

東洋画題綜覧

文学者にして歴史家、安芸国賀茂郡竹原郷の人、名は襄、字は子成、父は頼春水である、十二歳の時立志論を草し十三歳にして

十有三春秋、逝者已如水、天地無始終、人生有生死、安得類古人千歳列青史。

の作あつて人を驚かした、十八歳の時叔父杏坪に伴はれて江戸に出で昌平黌に入る、柴野栗山古賀精里等に愛せられ、その指導を受けた。寛政十年病の為め帰郷したが、これより漸く放蕩を事とし家を顧みず寛政十二年脱藩して京都に赴いたが、叔父春風に捕はれて再び帰郷し幽閉の身となる。然し幽閉中と雖も筆硯を離さず日本外史の初稿を草す。翌年御免の命を受く時に年廿四、これより南船北馬各地を遊歴し文人墨客に交はり、後京都鴨河畔に居を卜す山紫水明処これである。その大著日本外史は一度筆を起し改刪すること暫くもやめず遂に文政九年十二月に至つて大成した。当時の感想を賦して曰く

卅万言皆帯血痕、竜拏虎攫事紛々、保元写徹慶長尾、自覚筆辺生瑞雲

と、著す処、日本外史の外に日本政記、日本楽府、山陽文稿、山陽詩鈔、其他十数種あり、天保六年九月二十三日歿す、年五十三。

その伝を画いたものに矢野橋村の作がある。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)