静
しずか
画題
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解説
画題辞典
静は白拍子にして源義経が妾なり、義経の兄頼朝と隙あるや、静、義経に随って吉野に匿れしが、後捕はれて鎌倉に致さる、頼朝の室政子、静が歌舞を善くずるを聞き、頼朝と共に鶴岡社前に於て其舞伎を観る、工藤祐経を撾ち、畠山重忠銅拍子を撃つ、静唄うて曰く「吉野山みねの白雪うみわけて 入りにし人のあとぞ恋しき」、又唄うて曰く「しづやしづしづのをだまきくりかへし 昔を今になすよしもかな」、声態絶妙衆皆感愴す、頼朝懌ばず、政子獨り深く静に同情すという、
静男舞の図小川破笠の筆あり、近頃或るもの亦多し。
(『画題辞典』斎藤隆三)
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
源義経の愛妾で、京の白拍子、磯禅師の女である、義経頼朝と不和となり京を去つて吉野にかくるゝや静も亦これに従つたが、折柄山僧押寄すると聞き、静に財物を与へて別れ雑色をしてこれを送らしめた、途中雑色その財物を奪つて静を棄てゝ逃げ去り、静は山僧の手に捕へられ、京都の北条時政の手に送られた、時政これを調べてゐると、頼朝は静に依つて義経の所在を知らうと鎌倉に呼寄せた偶静妊んでゐたので、頼朝はその男子であらうことを怖れて抑留してゐる中、政子が静の舞に秀でてゐるを聞き、強いてこれを促がし鶴ケ岡の社頭に舞はせる、工藤祐経鼓を畠山重忠銅拍子を撃つて和す。
静が其日の装束には、白き小袖一かさね、唐綾を上にひき重ねて、白き袴ふみしだきわりびし縫ひたる水干に、たけなる髪を高らかに結ひなして、此の程のなげきに面やせて、薄げしやう眉細やかに作りなし、皆紅の扇を開き、宝殿に向ひて立ちたり、さすが鎌倉殿の御前にての舞なれば、面はゆくや思ひけん、舞ひかねてぞ休らひける、二位殿は之を御覧じて、『去年の冬、四国の波の上にてゆられ吉野の雪に迷ひ、今年は海道の長旅にて、やせ衰ヘて見えたれども、静を見るに我が朝に女ありとも知られたり』とぞ仰せられける、静其の日は、白拍子は多く知りたれども、殊に心にそむものなれば、しんむしやうの曲と云ふ、白拍子の上手なれば、心も及ばぬ声色にて、はたとあげてぞ歌ひける、上下あと感ずる声、雲にも響く許なり、近きは聞いて感じけり、声も聞えぬも、さこそ有るらめとてぞ感じける、しんむしやうの曲、中らばかり数へたりける所に、祐経心なしとや思ひけん、水干の袖をはづして、せめをぞ打ちたりける、静、君が代を歌ひあげたりければ、人々是を聞き『情なき祐経かな、今一折舞はせよかし』とぞ申しける。せんずる所敵のまへの舞ぞかし、思ふ事を歌はゞやと思ひて
しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
吉野山みねの白雪ふみわけて入りにしひとのあとぞ恋ひしき
と歌ひたりければ、鎌倉殿みすをさと下し給ひけり。 (義経記)
静の画題となつてゐるのは、此の鶴ケ岡社前の舞である。
松本楓湖筆 『静女舞』 第一回文展出品
小堀鞆音筆 『静女鶴岡歌舞図』 鈴木松子氏蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)