陽成院

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貞観十年(八六八)誕生。天暦三年(九四九)九月二十九日日没、八十二歳。第五十七代の天皇。清和天皇の第一皇子で、八十二歳の長寿を保ったが、若いうちから脳を病んで凶暴な振る舞いが多かった。幼くて帝位についた帝は度をすごした馬好きで、宮中でひそかに馬を飼わせ、飼育の仕方がいいというだけの理由で、たちの悪い臣下を何人か寵愛した。動物を集めるのも好きで、犬と猿をけんかさせたり、気に入らない臣下に対しては、剣を抜いて追い回すなど、狂態が多く、ついに摂政藤原基経に廃されてしまった。在位わずか八年、十七歳で光孝天皇に譲位したが、その後も凶暴な振る舞いで都の人々を恐れさせたといわれる。