長嘯子

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ちょうしょうし


画題

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解説

東洋画題綜覧

木下長嘯子は若狭竜野の城主で、名は勝俊、初字大蔵、肥後守家定の長子である、幼より豊臣秀吉に仕へ、従五位下に叙せられ若狭守に任じ族羽柴氏を賜はり竜野の城主となつた、天正十六年従四位下となり侍従に任ぜられ、征明の役には兵を率ゐて名護屋の行営に従つた、文禄三年若狭に封ぜられ、八万余石を食み、小浜城に居り左近衛権少将に任ぜられた、慶長庚子の秋、豊臣秀頼の命を受けて伏見城の松丸郭を守り鳥居元忠等と共にこれを守護した、大坂の兵起るや私に惟ふやう、余は秀頼とは親戚であり今や東西両難の中に立つ、即ち東すれば親を離れ、西すれば姻に叛くと、逡巡決せず、城中漸く危疑の色あり、会々元忠使者を以て曰く、聞く卿の弟秀秋来つて城を囲むといふ、速に郭を棄てゝ去れと、勝俊なほ決せず、その中何処からとも無く勝俊を殺して衆心を固めやうと、勝俊之を聞き愴惶として京都に遁れた、処が小浜の留兵が東軍に抗したことから乱平ぎてのち封を奪はれてしまつた、そこで勝俊は京師東山の霊山に潜居し名を長嘯子と改め、剃髪して風月を楽しみ、専ら心を和歌に委ね、また大原野に潜居して名を天哉翁松洞と改め、慶安三年六月卒す、時に年八十一、著はす所挙白集がある。  (野史)

井沢蘇水筆  『長嘯子』  第二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)