鎌倉権五郎景政

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画題

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解説

非公開

大武者絵展

 平安後期の武将。鎌倉に住んでいたのでその名がある。寛治元年(1087)、源義家が奥州の清原兄弟を討った後三年の役に義家に従って十六歳で出陣した。この時、景政は右眼を鳥海弥三郎に射られ、矢を眼に突き立てたまま鳥海に答の矢を射て倒した。仲間の三浦為次が景政の顔に足をかけて景政の目の矢を抜こうとすると、景政は為次を刀で突こうとする。武士が戦いで死ぬのは本望だが、生きながら顔を踏まれるのは恥だというのである。為次は無礼を謝して、膝で抑えて矢を抜いたという。舞歌「景政」は目に矢をさしたまま三日間鳥海を追い掛けて矢を射返したと歌う。景政は死後、武神「御霊大明神」として鎌倉にまつられ、歌舞伎のを演じる英雄ともなっている。 備考:【前太平記】

(『浮世絵大武者絵展』図録)