醍醐花見

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だいごのはなみ


画題

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解説

東洋画題綜覧

慶長三年三月十四日、豊臣秀吉、山科の醍醐三宝院に花見の宴を張り一代の豪華ぶりを発揮す、咲き競ふ桜花の下に遊宴嬉戯するさま、将に絢爛を極めた大画面である。

三月十四日、かねて定め置かれし花見の日なれば、辰の刻より伏見の城を出でさせ給ふ。御輿の次第は一番に北の政所、二番は三条の君、三番は松の丸君、四番は太閤、御若君を倶して輿に召され給ふ。五番は淀の君、六番はかかての君、各御輿添の小名等守衛し奉り、既にして醍醐の三宝院に到り給ふ。御供の人々はかへし給うて暮るゝ程に御迎へ申すべしと御事なり、則ち爰の院にて北庁及び淀君以下の女房達皆麗しき重の衣思ひ思ひに着飾り、爰を晴と立ち出で給ふぞ、さらぬだに此の世の中の人にはあらじかしと、まばゆき迄に見えて所々の花を見めぐり給ふに、其路の左右には皆緑の竹もて埒を結て色々の織物、錦の幕をはらせ給ひしは上呂天宮極楽世界も是には過じと覚えける、太閤は若君の御手を取らせ給ひ、女房たちもろともにゆるやかに、歩行て流れある辺り逍遥し給ふに、苔むしたる石橋の左に板廂したる亭あり、是は増田右衛門尉長盛が構へし茶店にて其妻緋の衣にもえぎの腰裳ゆるく結び若君の御手をとり入てまゐらせ、盃取出てゝ暫く宴を催し興を残して立出で給ひ、彼方の山、北方の峰を見廻り給ふに霞たなびき春の気色いはん方なく、咲も残さず散初めもせぬ花の色は実に枝をならさぬ御代のためしかなとて若君政所を始め参らせ、めでさせ給ふこと限りなし、御供の中に高洲といへる女房歌よみて献る、

天が下残らぬ花の盛には山より山や風にほふらん

又九衛門介といふ女房はをのこめきたる聯句を賦す

聞説醍醐花世界、見来此処雪乾坤。  (太閤記)

醍醐の花見を画いた作は少くない。

無款    六曲屏風一双  土屋楠熊氏蔵

同     八曲屏風半双  三浦直介氏蔵

菊池容斎筆         松沢氏旧蔵

野原桜州筆         第十回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)