道首名

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みちの おびとな


画題

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解説

前賢故実

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若いときより律令に精通し、官職になれてよく勤めていた。筑後守に任ぜられ、肥後のことをも管理した。任地においては、人々に農耕に従事するようと勧め、農地の耕作や果樹の栽培、鶏や豚の飼い方まで、農業のことについて詳しく教えた。教えに従わない者がいれば、これに対して厳しく責めていた。人民ははじめ窃かに首名を恨んで罵ったりしていたが、良い収穫ができたとき、みな喜んで首名の教えに感服した。また、溜池や堤防を築いて灌漑事業を広め、肥後国の味生池及び筑後に数々の溜池や堤防を造った。この地の人々は、今でもその水利の恩恵を受けているので、官吏の事蹟に触れると、みな首名を称える。養老二年、正五位下に叙せられ、筑後守在任中に亡くなった。百姓が祠を建てて首名を祀ることにした。

望苑商気艶(望苑には秋の景色が麗しい) 鳳池秋水清(鳳池には秋の水が澄み透っている) 晩燕吟風還(帰り遅れた燕は秋風の中を鳴いて帰ってきた) 新雁払露驚(深い露を被った新米の雁は驚きながら露を払った) 昔聞濠梁論(昔は、遊魚の楽しみを橋の上で説いた荘子の論説を聞いたことがある) 今弁遊魚情(今のわたしは、鳳池の魚の心情を味わっている) 芳筵此僚友(文雅の席上で当地の官吏たちと) 追節結雅声(リズムに合わせて、優雅な音楽を演奏している)

(『前賢故実』)