踏絵

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ふみえ


画題

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解説

画題辞典

徳川氏、切支丹宗門を厳禁するや、寛永五年時の長崎奉行水野河内守始めて轉びもの(切支丹を棄て踏絵の初めなり、後之を銅版に作らしめ、毎年正月長崎の町々に於て庶民をして之を踏ましめ、以て窃に信するものなきやを試み、以後一の行事として安政四年まで及びたり、亦長崎風俗の一なり、第一回院展出品の小林古径が「異端」、第十二回文展出品の鏑木清方が「ためさるゝ日」、共に踏絵の習俗を画きしものなり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

徳川三四代将軍の頃、正月四日以後七日間、宗門改めの時役人立会の上に諸人に基督の像を鋳たる銅板を踏渡らしむ、切支丹の信者は踏み得ないのでこれを捕縛するためである、十日以後は近い城市に渡して踏ましたといふ、其絵板といふのは長崎奉行所にあつて、楕円形長さ六寸横四寸許り、高さ二寸五分、印子金の純黄なので作る、其面に縁があつて、中にマリアの子を抱く図、耶蘇の十字架に上つた図を彫上げにしてある、同じ大さの木の中央に金の小方板を容れ、それに耶蘇の像鋳物にしたのもある、又長崎で正月四日以後、官吏、獄舎に蔵する六七寸の銅板に耶蘇の像を鋳たものを市に出して諸人に踏ませること、又異国船入津すれば亦船中の人をしてこれを踏ましめて後に上陸を許した、当時切支丹宗を厳禁し其の信者ならぬことを証せしめたものである。  (大言海)

切支丹改様之事、毎年切支丹宗門御改に付総町人数男女不残宗旨帳仕立正月四日より八日迄町年寄年番より踏絵請取一町限りと乙名組頭立会一人宛相改印形を取り踏絵為踏申候  (長崎志)

これを画いたものに左の作がある。

小林古径筆  『異端』      日本美術院展出品

鏑木清方筆  『ためさるゝ日』  第十二回文展出品

北野以悦筆  『踏絵』      第五回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)