足利義満

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あしかがよしみつ Ashikaga Yoshimitsu


総合


能狂言

1358―1408。室町幕府三代将軍。能の大成に大きく関わった。

義満は、将軍職を義持に譲り大御所となった応永元年(1394)の後にも、応永十五年(1408)に没するまで、最高権力者として君臨した。

能の大成者の一人である観阿弥が催した勧進能を見物した義満は、その芸のすばらしさに感服し、これ以降、猿楽の能役者を後援するようになった。それまでの幕府は、田楽の能役者だけを後援していたのである。したがって、猿楽の能役者にとっては、この勧進能は歴史的な大きい出来事であった。

その勧進能に父観阿弥と共に出演した世阿弥は、美童であったと推測され、義満に寵愛ちょうあいされ、それによって義満近侍きんじの公家くげとも親しく交わる機会を得て、当時の上層文化を吸収したと考えられる。連歌に秀でた二条良基にじょうよしもとなどとの具体的な交流もあったと推測される。このような上層階級との交流は、後の世阿弥の作能に大きな影響を与えたと考えられている。

また、観阿弥の勧進能を観覧した後の義満は、観阿弥に続いて近江猿楽の犬王(後に道阿弥と称する)という能役者の藝を好み、観阿弥の後には、世阿弥を凌いで、犬王が能界の第一人者の地位を得た。その後義満は没するまで、犬王を世阿弥よりも優遇したようであるが、それは世阿弥が冷遇されたという意味ではなく、二人の年齢的な差による藝の円熟度もかかわっているのかもしれない。

世阿弥も、変わらずに義満の後援を受け、室町幕府の御用役者的地位を得ていた。そしてその期待に応えるために、世阿弥は数多くの能を作ったとされる。そのようにして作られた世阿弥の作品は、そのほとんどが現在でも名作として頻繁に上演されている。

応永六年に、世阿弥は京都一条竹ヶ鼻で勧進能を催した。義満後援のもとに行われたこの勧進能によって、世阿弥は当時の猿楽の能の第一人者と認められたと見られている。

観阿弥・犬王(道阿弥)・世阿弥という優れた役者が世に現れ、猿楽の能が芸術と言いうるような変質を遂げたのは、為政者足利義満の権力によるところが大きかったと言えるだろう。