賢首菩薩

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

けんしゅぼさつ


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

賢首菩薩は華厳宗の開祖なり、名は法蔵、香象と号す。俗姓は康氏、唐の太宗皇帝の貞観十七年長安に生れ、十七にして太白山に入りて経論を学び、後洛陽華雲寺に於て智儼に就きて華厳経を聴く。廿八歳の時勅命により出家して華厳経を講じ、五十三歳の時天竺将来の梵本華厳八十を訳す。聖歴二年勅を奉じ、仏授記寺に新華厳経を講じ賢首の勅号を賜わる。叡宗の先天元年十一月十四日寿七十を以て西大原寺に寂す。その曽て則天武后の前に於て、勅問に答ふるに、庭前の黄金の獅子を假りて喩となし、華厳の教観を顕わしたるは有名なる逸話なり、之を華厳金獅子章という。其他著述甚だ多し、

第一回文展に菱田春草之を画く。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那華厳宗の第三祖、太唐大宗皇帝の貞観十七年に生る、当時晋訳の『華厳経』なほ欠くところがあつたので、于闐国に原本を索め、実叉難陀、菩提流支等重ねてこれを訳する時、これに与る、のち大原寺に華厳の宗旨を開示し帝の称讃を受け、京城の十大徳に数へらる、その著述中『旧訳華厳経』の註訳たる『探玄記』二十巻は最も有名で、『起信論義記』三巻、『五教章』三巻みな広く仏学者の間に研鑽される、華厳宗の教学は実に此の菩薩によつて大成されたといふことが出来る、玄宗皇帝の先天元年十一月十四日入寂、香象大師はその敬称である。  (仏教辞林)

賢首菩薩を描いたものに左の作がある。

菱田春草筆  第一回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)