豫譲

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よじょう


画題

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解説

画題辞典

晋の六卿知伯の臣なり、初め范中行子に事ふ、知伯趙の襄子の為めに殺さるゝや、豫譲其仇を報ぜんとし、刑人となり圊に入り、之を殺さんとして果さず、其獲る所となる、襄子間うて曰く、子は茫中行子に事へずや、知伯之を殺す子仇を報せず、却つて之に仕ふ、今獨り知伯の為めに仇を報ずるの深きは何ぞや、譲豫日く范中行子は衆人を以て我を遇す、故に我れ衆人を以て之に報ず、知伯は国士を以て我を遇す、故に国士を以て之に報ずと、嚢子即ち義士となし之を許す、已にして豫譲また身に漆りして厲となり、炭を呑みて唖となり、容を変じて橋下に伏し襄伯を窺ふ、襲子が馬驚き為めに索められて再び獲る所となり遂に殺さる、古来亦画家の好画題たり、第十一回文展には平福百穂画きたるもの知らる。

(『画題辞典』斎藤隆三)