豊国(三代目)

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 歌川国貞(初生)、のちの三代目豊国は、天明六年(一七八六)、本所五ツ目(現在の江東区の亀戸と大島をつなぐ五の橋)に生まれた。本名は角田庄蔵。父は庄兵衛といい、渡し場の株を持つ、江戸座の俳人であった。国貞は生まれた翌年、この父と死別し、母の手一つで育てられた。彼の有名な「五渡亭」という号は、五ツ目お渡船場と父の俳号にちなんでつけられたとも伝えられている。国貞は、若くして役者絵を描くことを好み、十代の半ば頃、初代豊国の弟子となり、その天分を認められた。彼の役者似顔絵は師に勝り、美人画においても独自の境地を開いた。彼は長い生涯を通じて実にたくさんの作品を残し、同時に誰よりも作品を商品化することに成功した。弘化元年(一八四四)に先師豊国の名を継いで、「二世豊国」と称した。しかし、実際にはすでに二世がいたので、本当は三世となる。翌弘化二年、髪を剃って俗称を肖造と改め、歌川派の総帥として、浮世絵界に広く活躍した。彼は亀戸に住んだため、亀戸豊国と呼ばれ、のちに柳島に移った。国貞の「五渡亭」時代は、彼の最も充実した時期にあたり、その歌舞伎絵は、新鮮な躍動感と緊張感が漲っている。元治元年(1865年)に79歳で死去。

(参考 「歌舞伎絵の世界」中山幹雄 東京書籍 1995年8月25日)