親鸞聖人

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しんらんしょうにん


画題

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解説

画題辞典

親鸞聖人は真宗の開祖なり、幼名松若麿、皇太后宮大進日野有範の子、承安三年四月京都に生る、四歳にして父を喪ひ八歳にして母に後れ、九歳青蓮院慈円僧正に就いて得度し、名を範宴という。叡山に居ること十年、更に南都に遊び、次いで復山に還る、時に深く心に感奮する所あり、出離の要道を求め、隠遁を希ふの念深く、建仁元年正月已来、京都六角堂に一百日の参籠を遂げ、更に法然上人に吉水に謁し、その教を受けて名を綽空と改め次いで善信と称し岡崎に住す、建仁三年三十一歳にして藤原兼実の女玉日を娶る、承元二年往蓮安樂の事あるや、之に連坐し越後に配せらる、配所に於ては自ら愚禿親鸞と称し、浄土他力教の弘通に勉む、建暦元年十一月赦されて此地を出で明年常陸に赴き、下妻小島に居り、又稲田に遷り、住ずること十年、此間に教行信証文類六巻を撰す、是れ浄土真宗開闢の本典なり、爾来諸方に留化して居を一所に定めず、弘長二年十一月廿八日京都富小路善法院に於て西向称名安祥して寂す、壽九十歳、明治九年勅して見真大師の謚号を賜はる。

親鸞聖人画像一幅(京都東本願寺所蔵)、浄賀筆親鸞聖人絵伝四巻(東京報恩寺所蔵)、同 仏光寺条二巻(京都仏光寺所蔵)、親鸞聖人絵伝四巻(上総照願寺所蔵)、親鸞聖人絵伝三幅(三河妙源寺所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)