藤原関雄

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ふじわらの せきお


画題

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解説

前賢故実

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父は真夏という。少年の時から文章が得意で、天長初年に文章生に合格した。しかし、清閑を好み官職に就かず、常に東山の旧居にいて自由気ままに生き、山林と泉石を愛し、時の人に東山進士と呼ばれていた。承和初年、関雄の人柄を気に入った淳和上皇は、関雄を出仕させようと詔命を下した。関雄はやむを得ず出仕することにした。上皇に優遇されて勘解由判官に任ぜられ、從五位下を授けられたが、煩雑で重い仕事を好んでする方ではなかった。仁寿初年、治部少輔と斎院長官を兼任していた頃、病気を理由に辞職願を提出したが、却下された。同三年卒、享年四十九歳。関雄は琴を弾くことが好きで、上皇より秘伝の曲譜を賜ってから、彼の琴の技芸がさらに素晴らしくなった。また、草書に長けた関雄は、かつて勅命を受けて南池院と雲林院の壁に字句を残したことがある。

詠塵(浮世を詠む)

紫陌暮風発(都の郊外の道では夕方の風が立ち) 紅塵靄々生(土ぼこりが煽られてあちこちに靄を生じさせた) 牀中随電影(まもなくして雷が落ちて光と影が床に映り) 梁上洗歌声(梁の上から屋根が雨に洗われている音が歌のように聞こえてきた) 老氏和光訓(優れた才能を隠して俗世間に交わる、という老子の教えがあり) 荘生守倹情(倹しく暮すという荘子の諭しがある) 払林疑霧薄(林が風に揺らされてまるで薄い霧がかかっているようだ) 飄沼似雨軽(池の水が風に吹かれてまるで漂い散っていく雨のようだ) 戦路従柴曳(道が柴で塞がれている戦は長引いて) 粧楼含鏡冥(鏡のある閨房は暗くて静だ) 未期裨峻岳(思いもよらずに高くて大きい山の助けになり) 飛颺徒自驚(舞い上がることに自ら唯々驚いている)

(『前賢故実』)